前田地子句集『跫音』(あしおと)。
四六判フランス装。 232ページ。
著者の前田地子(まえだ・くにこ)さんは、1940年満州新京生まれ、1946年に引揚げて来られた満州引揚者である。お父上は戦犯者として中国に抑留され、その抑留中の父上に会うためにご家族とともに中国の撫順収容所へ渡航をされている。そのような引揚者としての過酷な体験を記した著書『飛びゆく雲』(揺籃社)を上梓されている方だ。俳句は1993年三橋敏雄の句会にさそわれたのがきっかけとなり、三橋敏雄が亡くなるまで指導を受け、敏雄亡きあとは、「澤」主宰の小澤實の指導を受けるようになり現在に至っている。本句集は、全体を二つにわけ、Ⅰは三橋敏雄に師事したときの作品、Ⅱは「澤」に収録されたものより自選したものである。タイトルの「跫音」は、集中の「花屑や馬の跫音近づきぬ」に拠る。本句集に、小澤實主宰が帯文を、押野裕さんが跋文を寄せている。
本句集の美しい装画は、前田地子さんご本人が描かれたものである。
水彩画である。(グラシンで播かれているのですこしぼけてしまった)
ブックデザインは和兎さん。
見返しは透明感のある白い用紙。
扉にも装画をモノクロで。
白の栞紐。
前田さんの装画がフランス装とよく響きあっているのではないだろうか。
ご本人にとっては記念すべき一冊となった。
セザンヌの林檎を一個偸(ぬす)みけり
ご自身の体験を投影させた重たい句が多い中、前半におかれたこの一句。なぜか心惹かれる一句だ。林檎の画家と呼ばれ、「林檎ひとつでパリを驚かせたい」としばしば言っていたというセザンヌである。印象派を代表する画家だ。好きかと言われれば、わたしは総じて印象派はあまり好きではないのだが、セザンヌの林檎は好きである。前田さんはそのセザンヌの画家の魂の象徴でもあるような林檎を一つ偸んだという。絵を描く前田さんであるからこその一句だ。「個性とは方法である」とはセザンヌの謂だったと思う。セザンヌの林檎の絵をくいいるように眺めていたら、セザンヌの隠された手法が林檎のなかに啓示のごとく垣間見えたのかもしれない。
(ふらんす堂「
編集日記」2017/8/5より抜粋/Yamaoka Kimiko)