好日2016.9.1

 

鈴木敏子歌集『好日』(こうじつ)

 

鈴木敏子歌集『好日』

 

四六判ペーパーバックスタイル。170頁。

 

鈴木敏子歌集『好日』

 

著者の鈴木敏子(すずき・としこ)さんは、大正11年(1922)2月秋田県生れ、今年94歳となられた。二男三女を出産し育てられ、みなご健在である。
そのご兄弟のうちの三女の手塚節子さんが、お母さまが大学ノートに子供や孫たちのためにと書きしるしたものを「好日」として出版されたのが本歌集である。
ご家族に配るだけのものとして少部数を製作し、この8月10日のご家族がお母さまの元にあつまる日にお母さまをはじめ兄弟姉妹に配られたのだった。
昭和15年(1940)に18歳で結婚、夫(正義)の勤務地の満州に渡り、昭和19年(1944)まで戦時下を満州で暮らす。そのときのことを「納金口子に七家族移動。国境の辺鄙な処で家は見えず一面雑木林。川には魚おり、豆腐屋が一軒あり、酒保なし。時々魚の配給あり。」と略歴に記す。また、こんな記述もある。「式の朝 一束の青葉に歌を詠み添えて隊長呉れる。返歌なしを悔いる。」終戦の一年前に帰国。短歌は昭和19年(1940)の帰国の日7月27日からのものが収録されている。
 
 
一冊の大学ノートから、歌集『好日』という立派な本になったことを、鈴木敏子さんは喜んで「わたしの歌ではないみたい」と何度も何度も繰り返し読まれたということ。
 
装幀は和兎さん。
 

鈴木敏子歌集『好日』

 

鈴木敏子歌集『好日』

扉。

 

鈴木敏子歌集『好日』

 

鈴木敏子歌集『好日』

 

鈴木敏子歌集『好日』

 

「毎年夏にみなで母の元に集まるのですが、今年は特別なものとなりました」と手塚節子さん。出来上りを「母らしいものとなった」と喜んで下さったのだった。
「母はとても喜んで、残った本はわたしが死んだときに親しい人に渡して欲しいと言ってるんですよ」ということ。
 
若き日に幼を連れて年毎に植えし杉山見上げて立てり
 
いったいどのくらいの時間が流れたのだろうと思うと、その遥けさに頭がくらくらしてくる。
 
 
(ふらんす堂「編集日記」2016/8/26より抜粋/Yamaoka Kimiko)

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