宇野恭子句集『樹の花(きのはな)』。
四六判ソフトカバー装。218頁。
清楚な美しさの一冊が出来上がった。
著者の宇野恭子(うの・きょうこ)さんは、1958年和歌山県有田市生まれ、京都西京区在住。2006年に井上弘美の俳句教室にて俳句を始め、俳誌「椋」「泉」を経て、2011年俳誌「汀」(井上弘美主宰)の創刊とともに入会。2013年第1回汀新人賞、2015年第3回汀賞を受賞されている。現在「汀」同人、「汀」を代表する作家の一人と本句集に序文をよせた井上弘美主宰は書く。
西山のひとしく昏れて手毬唄
いましがた老いのわが声花あふち
だしぬけに母言ふ釣瓶落しかな
新松子言の葉ひとつひとつ置く
吟行によって鍛えられた眼と、生来の瑞々しい感性、そして知性がもたらす寡黙で抑制された表現。恭子俳句の真髄は、俳句という祈りの言葉によって、対象と心を通わすことにある。その無欲で純粋な姿勢が、透明感のある作品を生み出すのである。
本句集の装幀は和兎さん。
和兎さんとしては珍しいくらいの繊細なデザインとなった。
タイトルのみ箔押し。
あとは淡いグリーンを基調とした細やかな文様を配した。
実はこの一見、銀箔のように見える箔は、かぎりなく銀に近い金箔であり、わたしたちはプラチナ箔と呼ぶ。
本句集のおいてはじめて使ったものだ。
銀色の透明感のなかによく見れば金の華やかさを秘める。
それもこの著者に響き合っている。
表紙は白。文字と模様はうすみどり。
見返しはうすみどり。
扉。
カバーと扉の用紙は、キラがまぶしてあるもの。
最後のページは著者による装画でかざった。
宇野恭子さんは、俳句をはじめる前は絵を描かれていたと序文にある。
身近な植物を描くようになり、子規が病床で描いた草花に感銘を受けたという。子規の「写生」が、絵の世界から俳句の世界へと橋渡ししたのである。
「手にとって何度も何度も眺めています」と今日宇野恭子さんより喜びのお手紙をいただいた。樹の花の清潔な香りが満ちてくるような一冊である。
しんしんと老いたし合歓の花の紅
「しんしんと老い」るとは、いい言葉だ。そしてこの著者にふさわしい言葉である。ああ、わたしもしんしんと老いたいなあ、と思う。でも、わたしにはしんしんと老いることなど許されていないように思う。じゃ、どんな風に老いるのかって、そうね、う~~む。(1分ほど考えこむ)
バサバサと老いる、あるいはドタドタと老いるっていうのがわたしに似合っているような気がする。わたしの美学には見事反するんだけど。。。。。
(ふらんす堂「
編集日記」2016/7/13より抜粋/Yamaoka Kimiko)