霧のなか 神野紗希2010.5.9
湖は霧 逢えばうなずく馬と馬
(『晩春』)
湖にたちこめる霧。ややあって現れる黒い影。馬だ。
双方向からやってきた二頭の馬は、すれ違うとき、目を合わせ、軽くうなずく。まるで人間のようだ。聡明な二頭の馬は、美しい眼に知性を湛えたまま、また、霧の中へと姿を消す。
見えないけれど確かにある湖の存在感を、つねにかたわらに置きながら、霧の中を進んでゆく。その歩みは、湖のラインに沿って弧を描きつつ、ループ状に繰り返される。霧はいつ晴れるとも分からず、永遠にこのままであるかのような気分が立ちこめる。
そんな永遠とも思える霧の時間の中で、一瞬存在した馬の邂逅は、どこか運命的ですらある。これは、一字空けの効果にもよるだろう。「湖は霧」のあとを一字空けることで、霧の景色から馬の登場までに、時間のブランクが生み出される。その間によって、前述の永遠と一瞬の対比構造が、より強固になっているのだ。「う」の音韻の繰り返しも、一字空けによって、ともすればばらばらに解体してしまう一句の言葉たちを、繋いでまとめている。この句は、信子俳句の特徴である措辞の平明さと、彼女を取り巻く俳句環境の前衛的な志向とが、絶妙に止揚された一句だ。
楠本憲吉は、『晩春』に寄せた文章の中で、集中の掲句に触れている。
「榛名湖は霧のふすまに閉ざされ、肌寒い日であったが、霧の晴れ間を見て、桂さんも、私も、馬に乗り、湖畔をゆっくり一周した。一句はそのときの作であり、今でも、スラックスをはき、満面に笑みをたたえ、私と反対方向の霧のなかへ消えてゆかれた桂さんの姿が、まるで昨日の出来事のように浮かび上ってくる」
つまり、実際の体験においては、うなずきあったのはおそらく信子と憲吉で、馬ではなかったということだ。しかし信子は、人の気配を消し、馬同士の交感を描くことに決めた。このことによって、馬という動物の聡明さが際立つばかりか、信子の中にも「馬」らしさとでもいうべきものがあることが、しんしんと感じられるのである。
風のように走り去る勢いと気高さ、慈愛あるまなざし、いななきの雄々しさと切なさ。こうした特徴は、信子の他の作品にも、どこか通じるところがある。憲吉が、作句のもととなる体験を教えてくれたことで、改めて、信子の詩性の跳躍力を知ることができた。
[著者略歴]
神野紗希 Saki KONO
昭和58年6月4日、愛媛県松山市生。俳句甲子園をきっかけに俳句を始める。平成14年、第1回芝不器男俳句新人賞坪内稔典奨励賞受賞。同年、第1句集『星の地図』(マルコボ.com)出版。昨年、アンソロジー『新撰21』(邑書林)に参加。平成16年より今年3月まで、NHK「俳句王国」司会を担当。現在はお茶の水女子大学博士後期課程に在籍、新興・前衛俳句を中心に、近現代俳句を研究。