鏡が映すもの 相子智恵2010.6.27
月明の遠山となる壁鏡
(『初夏』)
全句集の中に、鏡が繰り返し出てくるので驚いた。直接対象を見ず、鏡に映った対象を詠むということは、自身の視線を強く意識することだ。また、鏡は自分を映すので、文字どおり自己と向き合う俳句だともいえる。鏡の句には、信子の視線の変遷が感じられる。
初めて鏡が出てくるのは、夫の死の直前である。〈秋あつし鏡の奥にある素顔『月光抄』〉鏡の奥の不安な素顔を夫には隠し、笑顔を見せていたのだろうか。そういえば夫との平穏な日々の中に、鏡の句は一句もない。その代わりに〈花の夕ひとりの視野の中に佇つ〉〈蝉時雨夫のしづかな眸にひたる〉という、夫の眼の中に映る幸せな信子がいる。
第二句集『女身』では〈夫はなし暮雪を映す破れ鏡〉〈別れ来て冬の鏡におのれ恃す〉など寡婦としての境涯が濃い。そして信子俳句がもっとも実験的傾向を強める第三句集『晩春』では、鏡は自己を映すだけでなく、鏡自体が緊張を感じさせるモチーフとなる。〈壁鏡冬木が遠く身震ひする〉〈鏡閉じ いま降る雪をしまつておく〉〈匂う百合へ鏡の中で鳴る時計〉。『新緑』以降になると鏡への過剰さは徐々に薄れ、句数も減る。鏡は風景の一部となり、季節や対象物の美しい光を際立たせる存在となる。〈氷店の鏡に午後の波頭『新緑』〉〈そよぎだす早苗田の青昼鏡『初夏』〉〈山荘や卵がうつる朝鏡『緑夜』〉〈神鏡や初日のせたる水の面『草樹』〉なかでも掲句は美しい。淡々とした描写ながら、この壁鏡が異界への入口のようだ。月の出までの静かに流れる時間も感じさせる。
やがて鏡には時代も映り〈鏡中に昭和果てたる床柱『樹影』〉、顔を映さない孤独と自在さも得た〈月の夜の貌の映らぬ鏡かな『草影』〉〈これが秋鏡のなかのもの吹かれ『草影』以後〉。そしていつしか鏡の奥に素顔のつぶやきが戻る。〈初鏡いつまで生くるつもりなる『草影』以後〉これが全句集に収められた最後の、信子の鏡の句である。
[著者略歴]
相子智恵 Chie AIKO
1976年、長野県飯田市生まれ。1995年、小澤實に師事。2000年、「澤」入会。
2003年、澤新人賞受賞。2005年、澤特別作品賞受賞。2009年、第55回角川俳句賞受賞。現在「澤」同人、俳人協会会員。共著に『セレクション俳人プラス 新撰21』(邑書林)。