母を送る 杉山久子2010.9.19

 

母のせて舟萍の中へ入る

(『緑夜』)

 ぱらぱらとランダムに読み始めた「桂信子全句集」の中で、ことさら眼に留まった一句。
 描かれた情景は明らか。母を乗せた舟が萍に覆われた水面を今ゆっくりと進んでゆくところである。作者は岸辺で母を見ているのか、あるいは別の舟に乗って母を見守っている。旅行にでも出かけて乗ったのんびりとした舟遊びの情景かと思いつつ、「萍の中へ入る」に何かただならぬ静けさを感じた。舟の下にある仄暗い水のゆらめきや萍の根の白々としたかそけき揺れが見えるようだ。その中をこれ以上ない位ゆっくりと音もたてずにすすむ舟。
 年譜を辿ると、すでにこの時は母が亡くなって数年経っている。そこで「月光抄」から順を追って読んでゆくと、母の句の多いのに驚いた。〈相たのむ母娘の影や寒に入る〉〈愛憎を母に放ちて秋に入る〉(「月光抄」)〈しづかなる母の立居も雪の景〉〈酔ひし顔母に見られぬ笹鳴ける〉(「女身」)〈目覚むたび母の眼に逢う冬日寒〉〈母とへだつ襖一枚 菜種梅雨〉(「晩春」)〈母へ濁す言葉の端よ別れ霜〉〈母の魂梅に遊んで夜は還る〉(「新緑」)最も身近な存在として寄り添い、支え合いつつ、時にその距離が息苦しくもあったりという娘としての心の揺れや、老いてゆく母を見守り寄り添う、一家に二人きりで暮らす母と娘ならではの心情が伝わってくる。
 母の死後、あれだけ多く詠まれた母は回想の中でもごく僅かしか詠まれていない。掲句は母の死から七年後に詠まれたもの。そしてこの句を最後に母を詠んだ句は影をひそめる。信子はこの一句でもって、母を真の意味で彼岸へ送ったのではないか。そう考えると、母の乗る舟は棺のようにも見えてくる。そこには母を見送る静かではあるが強い信子の眼差しが感じられる。
 「母」という字と「舟」という字の象形が似通っていることに気づいた時、生きてゆくかなしみと祈りが込められているように思え、信子の句の持つ拡がりと奥深さに立ち尽くした。


[著者略歴]

 

杉山久子 Hisako SUGIYAMA

 

1966年 山口県生まれ。1989年より作句。
1997年 第3回藍生新人賞受賞。
2006年 第2回芝不器男俳句新人賞受賞。
「藍生」「いつき組」所属。
句集「春の柩」「猫の句も借りたい」

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