凝縮 高柳克弘2010.3.28

 

寒鮒の一夜の生に水にごる

(『晩春』)

 寒鮒は脂が乗っていて旨い。釣り人の格好の的だ。掲句の寒鮒も、釣り人によって持ち帰られたのだろう。
 土間の隅に置かれたバケツの中で、明日捌かれるまでの時間を過ごしている。
 描かれている風景それ自体は、ありふれた日常の一駒といっていい。
 近いうちに卓に供される寒鮒に哀れを感じる発想も、常識の範囲内を脱するものではないだろう。

 

 束の間生かされている寒鮒は、そのたった一夜の間にも、
 みずからの糞尿や分泌物で水を汚さないではいられない。
 その発見にこそ、この句の命はある。

 

 「ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ」「やはらかき身を月光の中に容れ」(ともに『月光抄』)など、
 桂信子は女性の肉体を耽美的に謳いあげた俳人として知られている。
 もっとも、美への希求は、反動として汚れの自覚をもたらすものだ。
 掲句は、生き物の持つ宿命的な汚らわしさを照射している。
 全句集を読むまで、桂信子は向日性の作家という印象を持っていたが、こうした句を
 見つけてしまうと、そうした先入観に修正を加える必要を感じる。

 

 内実を写実的にまとめようとすれば、「寒鮒の水の一夜ににごりけり」とでも
なるのだろう。だが、山口誓子のもとで表現力を鍛えられた桂信子という作家は、もちろんそんな凡手ではない。
 この句の妙味は表層的描写を突き抜けた先に掴みとられた「生」の一語に凝縮されている。
 この一語によって、一句は寒鮒の瑣末なスナップショットから、

 

 人間を含むあらゆる生命の本質にかかわる思索的作品へと跳躍しているのだ。


[著者略歴]

 

高柳克弘 Katsuhiro TAKAYANAGI

 

1980年、静岡県浜松市生まれ。2002年、俳句研究賞受賞。「鷹」編集長。
句集に『未踏』、評論集に『凛然たる青春』(俳人協会評論新人賞)、『芭蕉の一句』。

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