いのちそのもの 日下野由季2010.5.16
青空や花は咲くことのみ思ひ
(『花影』)
青空の下に咲き満ちる桜の花。
花を見上げる信子の心をとらえていたのは、その花の美しさでもなく、儚さでもなく、ただひたすらに咲いている花のいのちそのものであった。花を咲かせることにのみすべての力を注いで、今、目の前に美しく咲いている花の姿を、信子はきっと眩しく見たことだろう。
この句は信子自身がそうであったように、読んだ人の心をも励ましてくれる句だ。「咲くことのみ」に、ある人は生きる希望を見いだし、ある人は疲れた心を休めることができる。
私自身もその中のひとり。悩むことにばかりに人生の時間を費やしてしまう自らの愚かさを、この花の姿は私に教えてくれる。
全句集を通して読んでいると、一句一句独立して読む時とは違って、句の背景にある桂信子という一人の女性の人生がどうしても立ち上がってくる。「誰がために生くる月日ぞ鉦叩」「何すべく生き来しわれか薪割る」という句が初期の頃にあるが、この時代、若くして寡婦となり、子供もいなかった信子にとって、その拠り所のなさは現代の女性の感覚では計り知れないものがある。「夫も子ももたない私は、句を作ることによつてのみ生甲斐を感じつつ、今日まで過してきたと言ひ得よう」と『女身』のあとがきに記した、どこか縋るような思いは、生涯変らなかったように思う。自分というものの存在意義を自らに問いながら厳しく生きてきた信子にとって、この花の姿は肩の力をふっと軽くさせてくれたのではないか。この句を詠んだ時、信子は八十一歳。その前年には阪神大震災を経験している。
いま一度この句を口ずさむと、「青空や」の五音が祈りのように一句に響いているのを感じる。空の青と生きることのひたむきさが相通じ合っているのである。
[著者略歴]
日下野由季 Yuki HIGANO
1977年、東京都生まれ。
句集『祈りの天』(ふらんす堂)
「海」同人。俳人協会会員。