空白の時間 中田美子2010.7.25

 

雨 ことに壺のまわりの暗い元日

(『晩春』)

 桂信子という人は、大変に都会的で洒脱な人だった。この作品は第三句集「晩春」に収録されているものだが、とても絵画的で瀟洒な趣があり、生涯を通じて絶えざる進化を続けた桂信子の俳句の中にあって、作者本来のセンスという点では、もっとも彼女らしいものではないか、と私は思っている。
 この作品にはまた、この時期の桂信子作品に特徴的な「分かち書き」がなされている。作品のモダンな趣は、ひとつにはこの分かち書きの効果によるところが大きい。私自身、初めて読んだとき、「雨」と「ことに」の間の空白から、雨の音が聞こえる、と思ったことを鮮明に思い出す。空白があることによって、A-MEという音律の明るい響きがより強く印象付けられ、読者に伝わるのは鬱陶しい雨でも後半の「元日」の暗い情緒でもなく、若々しい作者の屈折した気分、都会的な感性といったようなものだ。
 面白いことに後年、作者が自選句としてこの作品を取り上げる場合には、自らこの字間空きをなくした形に訂正している。その場合、この作品で強調されるのは何より「暗い元日」である。そこでは家族、家、情念といったものが、暗く冷たい冬の雨そのままに、壷のまわりに澱んでいる。後年の作者にとって、字間の空白から聞こえる雨の音、などという小ざかしい効果よりも、そんな深い情感が、より価値のあるものであったのだろう。特に、晩年の深い精神性を持った俳句を思い浮かべれば、そのことは容易に推測できる。
 それでも、と私は思う。たとえ作品としての完成度がどうであれ、この作品には、この字間空きがあるべきだ。この空白によって、この作品は、この瞬間の桂信子の息遣い、やわらかな感性、甘い情緒に満たされる。それは、ある作家が、ある特定の時代、ある瞬間にだけ手に入れることができる、稀有な輝きのひとつなのである。


[著者略歴]

 

中田美子 Yoshiko NAKATA

 

1959年 大阪府に生まれる
1991年より俳句を始める
桂信子、宇多喜代子に師事
「草樹」「quatre」所属
句集「惑星」(2002年刊)

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