燃ゆるを思へ 仙田洋子2010.5.2
地の底の燃ゆるを思へ去年今年
(『樹影』)
桂信子とは何と激しい人か。
掲出句は昭和六十三年の作だから、十一月生まれの信子はこのとき七十二歳のはず。既に高齢に達した信子が、地上の平穏無事に安住するな、地の底にどろどろ燃えるマグマを思え、己の心にも輝かしい詩のマグマを湧かしめよ、というのだ。この句を読むたびに、今は亡き信子に、しっかりせいと背中をどつかれているような気がする。
中村汀女の例もあるように、作家としての大成は家庭人としての幸福を犠牲にしなければ成り立たないものではないはずだ。だが、不幸にして、信子の場合はそうだった。
子供に恵まれないうちに夫と死に別れ、三十歳そこそこの若さで〈春燈のもと愕然と孤独なる〉〈夏雲や夢なき女よこたはる〉〈誰がために生くる月日ぞ鉦叩〉(『月光抄』)などと詠まざるを得なかった寂しさが、激しさとせめぎあうように信子の内部にはある。その寂しさが激しさを覆い尽くせば、〈春の暮われに家路といふは無し〉(『草影』)といった嘆息となろうし、激しさが寂しさのオブラートを破って噴き上げてくれば、〈薄紙も炎となりぬ春の暮〉(『晩春』)や掲出句のようになる。
掲出句のすぐ後には、〈自らを炎となさむとて初詣〉が続く。俳句のために自分の身を焼こうというのだ。
俳句の神は移り気で冷たい。近寄ってきて秀句を恵んでくれたかと思うと、あっさりと離れていってしまう。家族のように肩に手を置いていたわってくれることもなければ、現世的な報いを与えてくれることもない。ただ、一切を捨ててのめりこむことを要求する。そのような俳句に一生を捧げ、己に鞭打つようにして詩のマグマを燃え立たせ続けた寂しくも激しい信子の生き方に、私はただならぬものを感じている。
[著者略歴]
仙田洋子 Yoko SENDA
1962年東京都生まれ。
句集『橋のあなたに』『雲は王冠』『子の翼』、句文集『仙田洋子集』、共著『12の現代俳人論』『女性俳句の出発』『現代俳句の鑑賞事典』(近刊)ほか。毎日新聞にエッセイ「俳句と青春」を連載中。
「秋」「天為」同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。