丁寧に生きる 津川絵理子2010.4.4

 

ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く

(『草樹』)

 桂信子に桜を詠んだ句は多い。その中で、例えばこの句(昭57)と〈さくら咲く日々にて何かもの足らず〉(昭29)〈一心に生きてさくらのころとなる〉(平11)を並べると、年齢ごとの心境の変化を示しているようで興味深い。〈何かもの足らず〉が不惑の心境吐露だとすると、後年の〈一心に生きて〉の句の境地に辿り着くまでに、長い歳月を要したのだ。
〈ごはんつぶ〉は、句意としては後年の句に近いが、より若々しい充実感に溢れている。まだまだ人生の途上にあるというような、気持ちの張りや軽やかさを感じるのだ。また具体的であるぶん、一読して景色が見えてくる。平明であるという以上に、普段意識しないようなことに着目して句に仕上げている。発見の面白さがある。ごはんつぶを噛んでいる作者と桜が咲くということ。ただそれだけのことが些事ではなく、こちらの琴線に触れるのは、本質的なものをしっかりと掴んでいるからであろう。句から伝わってくるような咀嚼のリズムと桜の明るさが健やかだ。それにしても、わざわざ「ごはんつぶ」とまで言うだろうか。普通なら「ごはんよく噛んで」と済ませてしまうところだ。何か自らを肯定する気持ちや充足感が、無意識にこう言わせたような気がする。ごはんつぶを噛みしめるように、作者は毎日を丁寧に生き続けたのだと思う。このような感情がさらりとして気負いが無いのは、取り合わせの妙というべきものであり、桜へ寄せる作者の心の流れが自然に感じられるからだろう。その奥には、さり気ないユーモアがあることも忘れてはならない。
 かつて桂信子は、「俳句は非常にぜいたくなものだ」と書いた。「この天地のあらゆるものを絞ってたった十七音の短い言葉で表現する」からだ。それはそのままこの句にも当てはまる。本当の贅沢とは、また幸せとはこんな風にシンプルなものだということを、作者は日々感じていたに違いない。何でもない詠みぶりに、桂信子の生き方が現れている。


[著者略歴]

 

津川絵理子 Eriko TSUGAWA

 

昭和43年7月30日、兵庫県明石市生まれ。
鷲谷七菜子、山上樹実雄に師事。句集『和音』。
平成19年、第30回俳人協会新人賞、第53回角川俳句賞受賞。
現在「南風」所属。俳人協会会員。

俳句結社紹介

Twitter