素の芸 大谷弘至2010.7.18
忘年や身ほとりのものすべて塵
(『樹影』)
怖い俳人。
「桂信子」を思うとき、まっさきに浮かぶ率直な印象である。それは作品の迫力によるものであり、俳壇への歯に衣着せぬ発言によるものでもある。昨今、そんな印象を抱かせてくれる俳人は、残念ながら、いない。
掲句は、そんな桂信子のありようが見事に体現された句である。
境涯色の濃い第一句集『月光抄』ほか初期の世界は、新しい時代の新しい女性像を俳句という型式の中で演じきろうとしたようにみえる。たとえば〈ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ〉〈ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜〉といった恋の句にたいする「(相手は)誰という男の人ではありません。私生活ではできないから、俳句の中で遊ぶ、といったらいいんでしょうかね」(『現代俳人の風貌』)という自解からも、それはうかがえる。これらの世界にも、たしかに捨てがたい魅力があるが、やはり、今日においてなお、われわれを惹きつけるそのほんとうの「怖さ」は、第四句集『新緑』以降の平明で深みのある世界にこそあるように思う。
〈ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く〉〈たてよこに冨士伸びてゐる夏野かな〉〈青空や花は咲くことのみ思ひ〉
性差、時代差を超えた、誰でもない日本人の心そのものの句。何かを演じるわけでもない、この自然体の〈素の芸〉とでもいうべき世界こそ、桂信子の桂信子たるゆえんではないか。
さて、ふたたび掲句であるが、ここにみられるきっぱりとした潔さは、たとえば同じく「忘年」を詠んだ芭蕉の〈人に家を買はせて我は年忘れ〉にある、かれの境涯に起因する自嘲がもたらす味わいとは、好対照である。境涯という枠組みを、 はるかに超えて飛翔してゆく言葉の迫力。
身ほとりのものすべて塵。
〈素の芸〉であるがゆえの凄みである。
[著者略歴]
大谷弘至 Hiroshi OTANI
昭和55年(1980)年、福岡県生まれ。
長谷川櫂に師事。「古志」副主宰。