深い井戸 井上弘美2010.3.7

 

涅槃図の裏側をゆく人の声

(『草影』)

 旧暦二月十五日は釈迦入寂の日。この日、多くの寺院では「涅槃会」が営まれる。法要に掲げられる涅槃図には、沙羅双樹の下で入滅する釈迦と、それを取り囲んで嘆き悲しむ仏弟子や菩薩、天界の諸天、あまたの禽獣が描かれている。あれはどこの涅槃図だったか、天を仰ぎ地に伏して泣き叫ぶ人々とともに、萎れるように翅をたたんでいる蝶や、ようやく間に合った蝸牛が絵からこぼれ落ちそうに描かれていたのを思い出す。
  その絢爛たる声なき慟哭の図の前に人々は集まり、燭を灯し供物を供え、ひととき釈迦入滅の場に立ち会う。信子の句はそんな法要に賑わう「涅槃会」の景を切り取ったもので、句意は明らかである。しかし、「涅槃図の裏側」から聞こえてくる「人の声」には、不気味さがある。「裏側をゆく」との表現から、かなり大きな涅槃図と、その裏側から籠もったように響いてくる声が思われるからである。一枚の涅槃図を掛けることで生まれる、その裏側の深い闇。そこから漏れるように聞こえる声。肉体が発しつつ、実態を持たない「声」というものの不可思議。それは能面をかけたシテのように、この世ならぬ者の声として聞こえてくる。切り取られた景に静かな凄みが感じられる。
  桂信子の句には計り知れない奥行がある。それは、初期の代表作〈ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜〉のような情感溢れる官能的な作品から、〈冬真昼わが影不意に生れたり〉の最晩年詠に到るまで一貫している。どんなに平明な一句も、作者が内側に抱え込んでいる深い井戸から汲み上げられるからである。むしろ、一句の平明さや単純さは、井戸が深い闇をたたえていることによってもたらされるとも思える。
  「涅槃図」の句は八十三歳の春に詠まれた。その三年前に阪神淡路大震災があった。「涅槃会」の賑わいのなかで、信子には死者の肉声が聞こえているのである。


[著者略歴]

井上弘美 Hiromi INOUE

昭和28年、京都府生まれ。
昭和59年関戸靖子に師事。
昭和63年「泉」入会。平成3年「泉」新人賞。平成15年「泉」賞。
平成16年より東京在住。
句集に『風の事典』『あをぞら』(俳人協会新人賞) 『汀』。「泉」同人。
俳人協会幹事。俳文学会会員。日本文藝家協会会員。
朝日新聞京都俳壇選者。
早稲田大学・淑徳大学エクステンションセンター講師。
読売文化センター恵比寿講師。
武蔵野大学非常勤講師。

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