生きものの声 辻内京子2010.7.11

 

中天に雁生きものの声を出す

(『女身』)

 秋の到来を告げる「雁」は日本人好みの「あわれ」を誘う存在である。古くはたましいを運んで来るとされ、遠方よりの使者にも喩えられた。秋の空から聴こえてくる雁の声は、わけもなく哀感をそそられるものである。鳴き声もさることながら、羽をくいくいと動かしながら飛ぶ様は、けなげで一生懸命で、しみじみと心惹かれる。
 第二句集『女身』所収、桂信子三十四歳の作品。
 頭上を過ぎ行く雁の群れ。静かな秋の空にその雁の声が響き渡る。美しくて、寂しくて、悲しくて、一つの言葉では言い表せない様々な表情を持つ雁の声が切ない。信子はその雁に「生きものの声」という措辞を与えた。雁の声がもたらす情趣から少し離れて、「生きものの声」と言ったところにこの句の詩的感興がある。
 中天を飛び行く雁の様子を客観的に捉えながらも、そこには、信子の感受性が生々しく官能的に露見しており、興味をそそられるのである。あたかも、雁も信子も同じ肉体を持った生き物であるかのようであり、鳴き声は、その肉体の奥処から発せられたメッセージのようでもある。「生きものの声」はあるいは心情を流露した信子の愁嘆が滲む声無き声なのかもしれない。
 桂信子の俳句にはいつも信子自身がいる。俳句の後ろには必ず信子が存在しているのである。
 「雁」は、もはや単なる「あわれさ」の象徴ではなく、信子の生き様の、静謐な迫力と無為の生々しさを背負っており、「生きものの声」は深い余韻となって我々読み手に静かな揺さぶりをかけてくるのだ。
 『女身』に通底する信子の女性としての孤独や哀しみ。しかしそういった様々な情念に一枚のうすものを被いかぶせて、やわらかに、したたかに生きてきた桂 信子の本質そのものが窺える一句だと思う。


[著者略歴]

 

辻内京子 Kyoko TSUJIUTCHI

 

1959年 和歌山生まれ
藤田湘子・小川軽舟に師事
2009年 句集『蝶生る』により
第32回俳人協会新人賞
「鷹」同人。俳人協会会員

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