時空の向こう 冨田拓也2010.4.25

 

きさらぎをぬけて弥生へものの影

(『初夏』)

 「きさらぎ」とは陰暦二月のことで、陽暦では二月末から三月末にあたり、季節としては春であるが、まだなお寒さが残る時期ということになる。「弥生」は、陰暦三月のことで、陽暦では三月末から四月末ということになり、まさに本格的な春の季節である。
 掲句は、おそらく単に現実における春の風景をそのまま描写した句というわけではなく、時間の推移によって春の季節の実相を捉えようとした作品ということになろう。この句の表現からはそれこそ、まるで「きさらぎ」から「弥生」の風景の中を、自らの存在などのあらゆる事象を含む「ものの影」が、「時空のトンネル」の中をゆっくりと潜ってゆき、そのまま眼も眩むばかりのまばゆさに満たされた本格的な春の風景へと抜け出してゆくような超現実的なイメージが顕現してくるところがある。また、この時間の推移による作用のみならず下五の「ものの影」における「影」という言葉もまた、この句における春の陽のまばゆさを結果的に強く印象付ける効果を齎していよう。そして、その光耀の後からゆっくりと「ものの影」の「もの」である木の葉や草などの緑の色彩や鳥などの自然の形象が視覚の上に浮かび上がってくるように感じられ、その景観からはまさに春の季節における生命感そのものがまざまざと感得できるところがある。また、この句は、第五句集『初夏』所載の作であるが、かつての若き頃の『月光抄』や『女身』の作品である「ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜」「窓の雪女体にて湯をあふれしむ」などの句に見られた己れの肉体に対する強い自意識というものはここではもはや稀薄となり、自らの肉体の存在そのものが万象の風景のうちへと溶け込み一体化しているように見受けられる。
 掲句は、日野草城をその源流とする身体への意識と山口誓子を淵源とする具象への志向、その双方の要素を混淆し絶妙なバランス感覚で取り入れ、さらには「前衛俳句」の実験的な手法までをも自らの内へと包摂し終えた後の時期における、それこそこれまでに培ってきた俳句技法と洞察力によって、現実の実相というものが交錯的に内包する抽象と具象の要素といったものを俳句形式へと掬い取り、平明なかたちを以て定着させることに成功した、この桂信子という作者における集大成ともいうべき作品の一つであるといえよう。


[著者略歴]

 

冨田拓也 Takuya TOMITA

 

1979年、大阪府生まれ。
2000年に句作開始。
2002年、第1回芝不器男俳句新人賞。

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