響きと怒り 高山れおな2010.5.30

 

老婆たちまち没す怒号の薄原

(『晩春』)

 「怒号の」は、満目のすすきが秋日を受けて煌めき揺れるさまを指した比喩、それも視覚的な比喩であって、一句内部の空間はむしろ静謐である。岩にしみ入る蝉の声が静かさの心象を喚起するのと同様の言葉の機微が働いている。「怒りの」ではなく「怒号の」であるのも大事な点で、「怒りの」ならば「薄原」までが比喩化してしまう。「怒号の」であることによって、「薄原」は比喩ではなく眼前の実であることが動かない。
 目の前を行き過ぎた「老婆」が、薄のかげになって「たちまち」視界から消えたというのが句に描かれた情景であるが、純然たる客観描写にとどまらない作者の自己の投影も感じられて、それが句の奥行きとなっている。第三句集『晩春』所収で、昭和四十一年の作。この年とその前年の作品には、妙に「老婆」の語の使用が目立ち、現に掲句に続くのは、〈老婆の息で開く花瓶の曼珠沙華〉〈柿実り村に赭顔の婆殖える〉の二句だ。他にも〈南風の中ゆつくり浜へ能登老婆〉〈干烏賊の下をゆききの赤目老婆〉〈汐木ひろう老婆に短い足生えて〉〈なまこ濡れ 老婆の町に夕凪来る〉〈ふりほどく老婆の髪へ秋の雷〉などの句を拾える。
 「能登老婆」の語が見えるように、これらの句の多くは能登その他の農漁村に吟行して詠まれたらしい。作者のような都会の女性の目には、潮に灼け、日に灼け、赭さびた肌をした農漁村の老女たちの様子がことに印象的だったのだろう。しかし、それらの句が物珍しい鄙びた風物の単なる報告以上のものになっているとしたら(なっていると思うのだが)、そこに作者自身の老いへ向かう意識が寄り添っているからではないだろうか。
 昭和四十一年に作者は五十一歳。老婆というには早すぎるものの、老いへの恐れ、老いへの覚悟を持たざるを得ない年齢ではあるだろう。同じ『晩春』には、昭和三十三年の作として〈一本の白髪おそろし冬の鵙〉があり、四十三歳の作者は一本の白髪に「おそろし」と怯え、冬鵙の声を借りてその恐怖を叫ぶ。しかし、五十歳前後の句からは、すでに作者に、目を逸らさず老いを見つめる構えができていることが察せられる。中でも掲句は、描写性に収斂する他の句に比して、描写性がそのまま象徴性を帯びる点で一線を画している。“響きと怒り”のうちに「たちまち」過ぎ去ってゆく人生への諦念と、それと裏腹になった闘志を秘めた句。


[著者略歴]

 

高山れおな Reona TAKAYAMA

 

1968年、茨城県生まれ。「豈」同人。
句集『ウルトラ』(沖積舎 1998年)、『荒東雑詩』(沖積舎 2005年)。
『セレクション俳人プラス 新撰21』(邑書林 2009年)を、筑紫磐井・対馬康子と共編。
ブログ「―俳句空間―豈weekly」を中村安伸と共に運営。
4月から朝日新聞の俳壇時評を担当。

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