俳句という笛 白濱一羊2010.9.5

 

死ぬことの怖くて吹きぬ春の笛

(『花影』)

 春は木々の芽吹き、花々の開花、動物たちの生殖行動など万物の躍動する時期である。北国に住む者にとっては陰鬱な冬からの開放感も味わえる。
 しかし、その一方で情緒不安定になりやすく、これといった原因もないのに心が塞ぎ、何をしても楽しめない。〈春愁の昨日死にたく今日生きたく 加藤三七子〉などは春愁の心理状態を実に的確に表現している。
 さて、掲句は第9句集『花影』に収められている。「俳句」平成11年1月号に掲載の「桂信子自選五十句」にも入っており、晩年の代表作としてもっと注目されてしかるべき句だと思っている。
 歳を重ね、死が身近になってきた作者の心の中に生じた死への怖れ。毅然とした態度で人生を全力で生ききった桂信子にしても〈死ぬことの怖くて〉という感情にとらわれるのだという事実にまず驚く。
 第10句集『草影』の〈一心に生きてさくらのころとなる〉、『草影』以後の〈いづれ消ゆるそれぞれの背の花明り〉等々の諦念の境地をうかがわせる晩年の作品から考えても異色といえるが、春のもたらした漠然とした不安感が死への怖れの背景にあるのだろう。
 死への怖れと〈笛を吹く〉という行為の結びつきは不条理である。〈笛〉に〈春の〉を被せるというのも強引。しかし、それらの不自然さもこの句の魅力を損なうものではない。
 〈笛を吹く〉という表現を字面通りにとる必要はないのだ。それはきわめて内面的なものの象徴なのだろう。とはいえ、読者の心の中には、死に怯えながら一心不乱に笛を吹く媼のイメージがくっきりと刻み込まれる。飯島晴子がいうところの「一句の表に書かれている言葉通りではないがしかし、その言葉以外で表現できない時空が、表の言葉を通してこれを超えて、その裏に奥に、確かにある(『葛の花』富士見書房)」俳句。掲句もまさにそのような俳句の一つといえる。


[著者略歴]

 

白濱一羊 Ichiyo SHIRAHAMA

 

1958年、岩手県生まれ。
小原啄葉に師事。「樹氷」同人。俳人協会会員。
2008年、句集『喝采』(ふらんす堂)で俳人協会新人賞、岩手県芸術選奨を受賞。
ブログ「一羊俳句道場(http://blogs.yahoo.co.jp/iti819)」。

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