月明かり 高遠朱音2010.9.26
黒猫の去り月光は机まで
(『緑夜』)
さて、この黒猫は一体どこにいたのだろう? 月明かりを遮る位置ということは、窓と机の位置を一直線に結んだどこかにいたに違いない。しかし、この猫は決して机には近づかなかったのではないか。そこには、机に向かって作業をする何者かが必ずいたからであろう。人の作業を月明かりに照らされながら傍観、或いは無関心に寝こけていたか。どちらにしろ、机からはつかず離れずの距離であり、同時にそれは机に向かう人物との距離でもある。そう考えると、ここに描かれている猫は非常に猫らしい猫だ。猫は死期を悟ると、ある時ふいにいなくなってしまうという。死に場所を自分で選び、誰に知られることもなくひっそりとその生を終える。猫の持つ本能であり矜持だ。黒猫ももしかしたら死期を悟っていなくなったのかもしれない。机の影として存在していた黒猫がいなくなって、今や卓上は月明かりに侵食されている。
桂信子の詠む月明かりとは、照らし出すものではなく侵食するものなのかもしれない。「月光のつきぬけてくる樹の匂ひ」(『月光』)「やがて影を天幕にしまひ月の浜」(『女身』)「易々と猫超す月明の水たまり」(『晩春』)「月明や飼はれしけものくらがりに」(『草樹』)「月光に遠く置かれしレモンかな」(『草影』)時には「つきぬけ」、または障害となるものを「超して」対象物を侵食し、押し除けて月光はそこに差す。しかし、その侵食は排除ではない。月のもつ女性性の強かさであり、優しさも見せる。「月光のとゞく木立や母のこゑ」(『月光』)「月浴びて歯の根をあわす水の上」(『初夏』)「月光をさかのぼりゆき君かとも」「月光や身にまとひたきうすごろも」(『草影』)冷めているはずの月明かりには温もりがあり、自他共に柔らかく包みこむ。机に差す月明かりに、他者の不在を思う。寂しいと言わない寂しさと強かさ、優しさが混在している。
[著者略歴]
高遠朱音 Akane TAKATO
1985年 1月2日生まれ。
1999年 伊藤園「おーいお茶新俳句大賞」などで入選、受賞。高遠朱音として本格的に俳句を始める。
2000年 現代俳句協会会員。自由句会会誌「祭演」などに参加。
合同句集『祭演Ⅰ』『祭演Ⅱ』『祭演Ⅲ』『祭演Ⅳ』『祭演Ⅴ』に参加。
2006年 現代俳句協会ジュニア研修部員として活動開始。
毎年8月に行われる「俳句指導者実作講座」にてジュニア句会の司会を担当。
2007年 大学文学部卒業。
現在 『蛮』『ロマネコンテ』などに執句。WEBデザイナー。
第一句集『ナイトフライヤー』