エッセイ集『空を流れる川――ヒロシマ幻視行』刊行記念 (6)おわりに2010.11.4
講演●ヒロシマの声に耳をすます
野木京子+映画上映「チェチェンへ」「生きていてよかった」「アナタハン」
2010年11月4日
同志社大学寒梅館ハーディーホールにて
主催・同志社大学今出川校地学生支援課
共催・studio malaparte
(6)おわりに
読まれるべき本、観るべき映画というのは、今だんだん、私たちの手に入りにくくなって、目に触れにくくなっているようにも思います。私たちが聞かなければならない声も、聞きにくくなっているのかもしれません。
インターネットやメディアで、皆さんご存知のように、たくさんの声があふれています。でも、聞くべき声は、耳を澄まさなければ聞こえないような気がします。聞くべき声は、もしかしたら瓦礫の下に埋もれているのかもしれない。テレビに映る、ピンポイント爆撃の下に、そういう声も隠れているのかもしれません。そして、どういうわけか、あまり読まれなくなってしまっている、原爆文学といわれるジャンルの作品。その文学者たちの作品のなかに、私たちが耳を傾けるべき声は隠れているように思います。世界にあふれているたくさんの情報の下で、あるいは大きな声の下で、埋もれているようにも思います。それは、ときには幻の声のように小さく聞こえるのかもしれないけれども、私たちはその声を探さないといけないと、そう思います。
ヒロシマを継承するには、どうすればいいのか。地味なことかもしれませんけれども、彼らの仕事を忘れない。戦争で亡くなった人たちのことを忘れない。原爆文学を読み続ける。地味だけれども、それは大切なことのように思います。
あの文学者たちは、私たちのために書き残してくれたのです。貴重な仕事を残してくれた。そういう、ヒロシマの声に、耳をすます。そういう声が、今を生きている私たちを、支える声であるような気もします。それはある意味で、私たち自身の声を聞くことにもつながっていくようにも思います。
お伝えしたいと思っていたことが、うまくお伝えできたかどうかわからないのですけれども、これで終らせていただきます。ありがとうございました。私のようなものを呼んでくださった同志社大学の学生支援課の皆様に、心から御礼申し上げます。そして今日来てくださった皆さん、本当にどうもありがとうございました。
*熊本市の詩人、藤坂信子さんからの花束が京都在住の林咲希ちゃんより贈呈されました。