澤好摩さんを偲ぶ会2023.11.11

 

2023年11月4日アルカディア市ヶ谷で行われた「澤好摩さんを偲ぶ会」

 

 

午後2時からの開始だったが、たくさんの方々がみえられた。

 

 

澤好摩という俳人がいかに愛されたか、そのことを彷彿とさせるすばらしい会だった。

 

 

山田耕司さんからいただいたご案内であるが、そこに、

 

澤好摩との思い出を語りませんか。
澤好摩がうらやむほどの時間を過ごしませんか。
にぎやかな集まりが好きだった故人のために、
俳句を愛する方々がつどう会を開催しようと存じます。

 

と記されていたのだが、きっと澤好摩さんが天上で羨んだであろう、そんな気持にさせるような良き会だった。

 

ご挨拶をした方をお一人お一人紹介をしますが、ご挨拶の内容は一部を紹介することでお許しください。
また。不手際もありましたこと、ごめんなさいませ。
お詫びいたします。

 

 

 

 

 

司会は山田耕司さん。

 

 

 

最初のご挨拶は、澤さんの弟君である澤敏明さん。

 

澤好摩はにぎやかなところが大好きでした。山田耕司さんにご尽力をいただいて感謝しております。

 

 

 

 

 

献杯は池田澄子さん。

 

 

ずっと一緒に句会をしてきました。若いときからはじめて澤さんがこれまで何回句会をさいれたかわかりませんけど、澤さんがわたしたちに自慢するタネを下さいました。それは澤さんの最後の句会が、わたしたちの小さな句会でご一緒していただいた句会だったということです。

 

 

この後は、作家の小林恭二さんだったのだが、わたしがちょっとぼんやりしていてお写真をとることと、ご挨拶を録音することを忘れてしまったのです。。。「円錐」99号の「追悼 澤好摩」より抜粋します。お許しください。
小林恭二さんは、小説『澤好摩伝』を上梓しておられ、俳句における澤さんとの親交は深い方だ。

 

たくさんの思い出とチャーミングな時間を残して澤さんは逝った。それは生粋の下町っ子である澤さんの最後の優しさだったかもしれない。これまでありがとうございました。いずれまたどこかでお会いしましょう。

 

 

 

 

夏石番矢さん。

 

対面で人間が人間と出会うことが大切だと今日思いました。30年振りに澤さんがこうして合わせてくださったと思っています。21歳ぐらいのときに髙柳重信に「もっと若い人たちとやりなさい」と澤さん紹介してもらいました。髙柳重信さんは、40年まえの7月8日に亡くなっており、澤さんはこの7月7日七夕になくなった。これも縁なのでしょうか。澤さん提案の「袋廻し」で鍛えられ、それによって俳句は瞬発力が必要だと、まなんだような気がします。
近年日本の俳句が萎縮というか脆弱というか、憂慮すべきことであると思います。海外の俳句とは全然ちがう、日本の俳句はお遊びになっていると思います。

 

 

 

恩田侑布子さん。

 

澤さんは、わたしにとってかけがえのない人でした。へこたれている時や心が萎えてしまったときに電話をすると必ず慰めてくださった。澤さんは、選句眼がおありなので、選句の目を信頼しておりました。句集制作のときも見ていただきました。わたしは澤さんの俳句もまた素晴らしいと思っています。

 

と語り、澤好摩さんの作品数句をあげて、鑑賞されたのだった。この評はすぐれた澤好摩論ともなるのもので、「円錐」99号にも執筆されているのでそれを是非読むことをおすすめしたい。
ここでは、恩田さんがとりあげた俳句をいくつか紹介しておきたい。

 

 ものかげの永き授乳や日本海
 崖の上にひねもす箒の音すなり
 日とどかぬ雪庇の内の幼恋
 蘆刈ると天が重荷となるかなあ
 夏深し釣られて空を飛ぶ魚

 

 

 

 

仁平勝さん

 

 

わたしは摂津幸彦の「豈」に入っていたのですが、ある日澤さんより「『豈』なんかに俳句をちゃんと勉強するためには、「未定」にはいらなくてはダメだよと言われ、そうかと思い「未定」に入りました。その後で摂津さんに叱られたんですが。。

 

 

 

 

最後は「円錐」所属の横山康夫さん。

 

横山さんのご挨拶のときに、レコーダが不明となってしまし録音ができず、「円錐」99号の横山さん執筆による「ああ、澤好摩!」より澤さんとのやりとりの箇所を抜粋します。

 

一年ほど前に私が、最近の澤好摩の作品には既視感があり、綺麗にまとまつてゐるだけではないかと批判的に述べたところ、長文の反論が来た。たかだか十七音程の音数の詩では、よほど奇を衒はない限り既視感と無縁でゐられるはずがない。だから既視感を離れることを主眼にするなといふのである。じつにささやなところに新しい視点や切り口が潜んでゐる。発想を転換し既視感を脱するのではない。既視感の範疇にとどまると見えつつも、そこに自らの視点や切り口を用意することで停滞を脱却するのだ、とじつに丁寧な反論であつた。(以下略)

 

 

 

 

「円錐」99号

 

「円錐」目次。

 

 

 

出席者全員に、この「円錐」99号が渡された。
と同時に、俳句雑誌「翻車魚(まんばう)」vol.7軍鶏号も渡された。
こちらは、佐藤文香さん、関悦史さん、高山れおなさんたちによる俳句雑誌である。

 

 

 

 

 

 

俳句雑誌「翻車魚(まんばう)」vol.7軍鶏号
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軍鶏の装画は関悦史さんによる。

この「翻車魚」に、高山れおなさんによる、「澤好摩の百句」が掲載されている。
前書き的な書きだしに澤好摩さんを追悼する文章があるので、それを一部抜粋して紹介しておきたい。

 

拙いものではあれ、澤さんが生きていれば多少なりとも喜んでもらえたはずだが、それもかなわなくなった。しかし、じつのところさほど残念に思っているわけでもない。酒と旅と友だちが何より好きだった人が、酒で病気になることもなく喜寿を過ぎるまで元気に過ごし、友だちに会い旅に出、陽気に飲んで転んで死んだという事実、それもあのほとんど歯の無くなった口で、「幸せ、幸せ」と言いながら死んだという事実が惹起するのは、まずみごとだという思いがあって、その思いの分量は哀しみの分量を少しばかり上回っている。
前置きが長くなった。そろそろ本文に入りたい。以下、澤好摩が残した五冊の自選句集に所収の句を、掲載されている順序で鑑賞してゆく。最後の二句のみ、第五句集以後の近作である。

 

そして、百句が鑑賞されていく。
実際の鑑賞は、ぜひに「翻車魚」で読まれることをおすすめしたい。
高山れおなさんも会にいらしており、このことについてすこしお話をうかがうこともできた。

 

また、山田耕司さんには、ふらんす堂の百句シリーズにおいて、「澤好摩の百句」にとりくんで欲しいとお願いしたところ、快諾をいただき、それと同時に山田さんより、この高山れおなさんによる「澤好摩の百句」を是非に読んで欲しいと言われていたのだった。
高山さんと山田さんではまた選ぶ句も異なってくると思うが、どちらもあるというのは、澤さん嬉しいだろうな。

 

 

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