エッセイ集『空を流れる川――ヒロシマ幻視行』刊行記念 (3)30センチ高い今の地面2010.11.4

 

講演●ヒロシマの声に耳をすます
野木京子+映画上映「チェチェンへ」「生きていてよかった」「アナタハン」

2010年11月4日
同志社大学寒梅館ハーディーホールにて
主催・同志社大学今出川校地学生支援課
共催・studio malaparte

(3)30センチ高い今の地面

hiroshima03

 ある日、フィールドワークの会に参加しました。被爆証言者の方からいろいろお話を聞きながら、説明をしてもらいながら、爆心地の周辺を歩くというフィールドワークの会でした。そのときに被爆証言者の人からこういう言葉を聞いたのです。
「みつけられないまま地面の下に埋まっている骨を、私たちは踏みつけて歩いているのですよ」。
 それを聞いて、思わずはっとして地面を見たのですけれども。たしかに広島の地面の下とか、川の底には、今も発見されないままの骨が隠れているわけですね。これは地元の人にとっては、きっと当たり前のことであって、たとえば、広島の中心地でビルを建てるときに地面を掘り返したら、お骨が出てきたという新聞記事を目にしたことがあります。平和公園の中に、6年前くらいに、新しく国立の追悼祈念館の施設が建設されましたけれども、それを建設するときにも、地面を掘ったら、お茶碗のかけらや食器のかけら、屋根の瓦のかけらがいくつも出てきたと、そういう話を友達から聞いたことがあります。ご年配の方で、子どものころ広島の川で遊んでいたら、川底で頭蓋骨をみつけたよ、と話される方もいらっしゃるそうです。
 そういうことは、考えてみると当たり前のことかもしれません。原爆が落ちたあとの広島は、写真をご覧になった方は皆さん知っていらっしゃると思うし、さっきの『生きていてよかった』にもそういう情景が映っていましたが、どこを見ても破壊されつくされている。360度の有名なパノラマ写真がありますけれども、どこを見ても一面の瓦礫ですよね。遺体や骨は集められて供養されたわけですけれども、瓦礫の下に隠れてみつけられなかった遺体や骨はたくさんあったはずです。

 原爆は、地上から580メートルのところに、突然太陽が出現したような、ものすごい高温と熱線だったそうですけれども、直撃を受けた人たちは、なんというか、粉々になっただろうし、燃えあがって砕けてしまったのだろうと思います。拾い集められることが、元々できないお骨ですね。だから瓦礫の下には、みつけられなかった骨が、たくさんあるわけです。
 広島へ行かれたことのある方は知っていらっしゃいますが、爆心地周辺は、平和公園という、大きな公園になっています。広々としたとてもきれいな公園です。樹木が点在しているきれいな公園なのですけれども、どうしてそういう公園を作ることができたかというと、元々はたくさんの人が住んでいた町であったということですね。広島で当時、一番の繁華街で、木造住宅が密集する住宅地だったそうです。原爆でみんな燃えてなくなってしまった。残った建物はたしかあの地区で、原爆ドームと、今レストハウスとして使われているコンクリートの建物と、それぐらいだったと思います。あの日のあの時間にそこにいた人たちもみんないなくなってしまったわけですね。お一人だけ、今レストハウスに使われている建物の地下室に、あの時間にたまたま文房具を取りに下りていた男の方が一人だけ、奇跡的に助かったというお話ですけれども、それ以外の人はみんないなくなってしまった。亡くなってしまった。だから公園を作ることができたわけです。
 でも、あの一面の瓦礫はどうやって片付けたのだろうと、ずっと不思議に思っていたのです。瓦礫を片付けて整地しなければ、公園を作ることはできない。そのときに、その被爆証言者の方が教えてくれたのですけれども、原爆の後にものすごく大きな台風が来た、と。枕崎台風という名前です。原爆でかろうじて生き延びたのに、その台風で亡くなった方がたくさんいらしたそうです。その台風で、川から海へ流されていった瓦礫もあった、と。それでもまだまだたくさん残っている。
 結局、土が大量に爆心地周辺に運び込まれて、盛り土をした、埋めていった、と聞きました。だから爆心地周辺は、元々あった本来の地面よりも、今は30センチほど高くなっているのだ、とその方から教わりました。
 だから、瓦礫の下に隠れてみつからなかった骨や遺体も、一緒に埋められているわけなのですね、30センチ高くなったときに。今ある地面より30センチ低い、元々の地面に骨が隠れている。お茶わんのかけらや、住んでいた人たちの息づかいや、ざわめきも、下に隠れているのです。

 そのことに気が付いたとき、下から、ぐうっと、すごい圧力が上がってくるような、そんな感じがしました。私は、原爆が投下された空からの、上からの圧力も感じて、上からの圧力と下からの圧力に挟まれているように、歩いていて苦しくなることが、そういう思いをすることがよくありました。埋められて整地された地面の下には、犠牲者の骨と、その人々の声が埋まっているように思いました。その声を聞くことはできないだろうけれども、聞きたいと、そんな幻想のような思いを持ちました。

 

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