稲畑汀子賞授賞式2024.6.10

 

 

6月9日に法曹会館にて、日本伝統俳句協会・稲畑汀子賞の授賞式が行われました。
阪西敦子句集『金魚』第2回稲畑汀子賞句集部門の奨励賞を受賞され、句集を担当したPさんがはせ参じました。

以下はPさんのレポートです。

 

 

開会のご挨拶をする岩岡中正会長

 

お忙しい中、全国からお集まりいただきありがとうございます。

時間が経つのも早いもので、汀子先生が亡くなってから大分経ちます。
私にはあのようなカリスマ性はないのですが、逆にみんなで力を合わせて運営していければいいなと思います。
伝統俳句協会は伝統俳句の「伝統」という旗印のもと理念を作ることが大事です。虚子以来の花鳥諷詠、客観写生そういったものの理念をどういふうに社会に伝えていくかということを努力していきたいと思います。

その一貫として、花鳥諷詠季刊誌をより良く刷新し、また稲畑汀子賞を設けて社会的に訴えていく、あるいはメディアに発信していくということをこれまで以上に行っていきたいと思います。

伝統俳句協会が日本の俳壇に、文化に、どう寄与できるかというのが「公益社団法人」の目的ですから、どういうことが貢献できるのか、また国際化ということにも力を入れています。

今は分断の時代になっています。

どうやって人と人とをつなげるか、国境を越えるかという問題もあります。
人と人とを越える座の文芸・文学としての力、自然との調和、他者との共生、こういったものを「21世紀の哲学」としての「存問の哲学」であると考えます。
伝統が持っている役に立つ現代の平和と共生と文学と生き方について、自然について、伝統俳句はどういう貢献ができるのか、それぞれの協会がそれぞれの貢献をできるところから、やっていくべきだと思います。

「存問しあう協会」を作っていきたいと思います。
自然と存問し俳句を作る。
国際俳句のもっている地球的な意味を考え、その生き方として私たちも何か少しでもお役に立てればと思います。

そのためには作句力、生産力、文学力も必要ですが、同時に発信力も身につけなければ新しい、協会として社会的存在として不足があるのではないかと思います。そういった意味でもがんばろうと思いそういった動きも始めております。

今日のシンポジウム「芸」というテーマですが、伝統俳句協会は技、芸ということの蓄積を重ねて来たつもりです。そういうものを若い世代の方にご披露いただいて俳句の世界・文学の世界に伝統俳句協会が少しでも貢献していきたいと思います。

授賞式の前にイベントとしてミニシンポジウムが開かれました。

 

 

 

 

 

 

「芸としての俳句」をテーマに、
(右から)司会・井上泰至
パネラー・和田華凜氏・木暮陶句郎氏・長谷川槙子
の3名で語り合いました。
和田氏の夜半から続く「諷詠」継承者としての「芸」、木暮氏の陶芸家芸術家の視点からの俳句の「芸術」への昇華、長谷川氏の教育者の視点から作句を捉えたときの俳句の在り方を、それぞれの立場にたって語り合う有意義なシンポジウムでした。
「人間は因縁を切り離して突然新しいものはできない」という虚子の言葉を引いた長谷川さんの言葉はとても印象的でした。

●稲畑汀子賞授賞式

 

 

 

『鷹のつらきびしく老いて評伝・村上鬼城』で
第二回稲畑汀子賞奨励賞評論部門を受賞された吉井いくみ
 

この度は素晴らしい賞をいただくことができ、大変光栄に思っております。 
私は俳句を初めて丁度十年でございます。この世界では小僧のような感じだと思いますが、岩岡中正先生や深見けん二先生、山崎千鶴子先生、多くの方々にお世話になりました。深見けん二先生が「出会いとご縁を大切にするように」と私によく仰っていました。そういうこ とがあって、今日のこの日があるのかとと思っています。

私はまだ勤めていまして、なかなか書く時間がなかったのですが、コロナがあって家に引きこもる時間ができました。本来であれば仕事をしなくてはいけないのですが、家で仕事と俳句の勉強をしながら執筆いたしました。なかなか今は時間がなくて新しいものは掛けないのですが、これからも「出会いとご縁」を大切にしながらしっかりとやっていきたいと思っております。
奨励賞ということですので、さらに一層努力をせよということかと思いますので、引きつづきご指導いただきながら楽しんでいけたらなと思っております。今日はどうもありがとうございました。

 

 

 

 

『金魚』にて第二回稲畑汀子賞句集部門奨励賞を受賞された阪西敦子

このような賞をいただきまして本当にありがとうございます。
辞書をひきますと、奨励賞の「奨」というのは、奨める、良きことだからせよということだと書いてありました。「励」というのは励ますことだと書いてました。
その意味を知った時に思い出した言葉があります。
私は師が四人います。最初の師である稲畑汀子先生から一番良く聞いた言葉に「いいのよ」というのがあります。
私は先生が亡くなるまで若輩な弟子だったんですが、
「先生この句はどうでしょう」「いいのよ」
「先生これはだめですかね」「いいのよ」
って、ほとんどのことを「いいのよ」で「おやりなさい」で済まされてきた気がしますが、その「いいのよ」というのがまさに「奨励」であったと思います。先生がずっと奨励してくださった「いいのよ」がこれからもこの賞の名前によって続くのであれば嬉しいなと思います。
選んでくださった選者の先生方と皆様に感謝いたします。今日はありがとうございました。

 

 

 

 

お着物姿素敵でした^^

 

 

 

 

『明易』にて第二回稲畑汀子賞を受賞された安原葉

ただいま思いも寄らないびっくりぽんな第二回稲畑汀子賞をいただき光栄に思います。
今回出した句集は文学の森さんから出したんですけれども「明易」という題の句集でした。
昭和29年高浜虚子先生が文化勲章をとられた年です。私が22歳で、初めて若手として虚子先生の千葉県の鹿の浦の鍛錬句会に参加した時です。7月の17日はじまって19日の4回目の句会をもってお開きになるという句会でした。その4回目の句会の時に虚子先生が「明易や花鳥諷詠南無阿弥陀仏」という句をお出しになったなんですね。ところがこの句、誰も採れない。もちろんこれが虚子先生の句だというのはわかっていましたが、採るとその理由を述べなくてはいけない。京極杞陽先生が明易の句について虚子先生に質問してくださいました。「この句は難しい句ですが、どういうお気持ちでおつくりになりましたか?」すると一言、「私の信仰述べたまでです」と仰いました。その時に付け加えられた言葉を誰も憶えていないのですが、私は憶えています。
「信仰ですから、それぞれおのれの信仰があるでしょう。お題目方はお題目、アーメンのかたはアーメンで結構です」
そういうことを言われました。以後これが私の人生の証で、進むべき方向を示していただいた句だと思い、それをまとめる意味で「明易」を今詠んでおかないとと思い句集をまとめたわけです。
昭和29年7月19日に初めて参加してから、来月の7月19日で70年になります。そういう意味でこの「明易」は深い意味を持っているなと思います。虚子先生と初めてお目に掛かったときの感動が今でもよみがえってきます。
そのお蔭で俳句から離れることができず、このようになっております。座の文芸ですから、皆様から励ましをいただいて今日の私があると思っております。本日賞をいただいたことを厚く御礼申し上げたいと思います。ありがとうございます。

汀子賞の他に、第35回日本伝統俳句協会賞・第36回花鳥諷詠賞の授与式も行われ、とても華やかな一日でした。

 

 

 

受賞されたみなさま

皆様、本当におめでとうございました!

 

(ふらんす堂「編集日記」2024/6/10より抜粋/Yamaoka Kimiko)

 

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