Water / in the dark 宇井十間2010.8.15

 

つばくらめ 目覚めの海のこの蒼さは

(『晩春』)

 『晩春』所収。つばくらめの視点から、朝の海の色鮮やかな光景を描いている。 叙述のスケールの大きさが魅力の句である。表現技術的には、「目覚めの」がすこし気になるが、さほどの傷ではない。
 あるいは作者の視点からつばくらめと海を描いているともとれるが、いずれにしても爽快な句である。
 全体としてみると、『晩春』の句群は、桂信子全句集のなかであきらかにひとつのモーメント、断絶をなしている。一字あけ、破調を多用し、さらに表現的ないし主題的な試行錯誤のあともみえる。『月光抄』『女身』に続き、起承転結の転にあたると俳人本人のあとがきにあるが、客観的にみてもそう評価して間違いはないだろう。むろん成功作は多くはないが、私はほかの時期よりもこれらの作品にむしろ興味をもつ。桂信子らしくない、肩に力がはいりすぎの力みすぎの句集、また当時の時勢に影響をうけすぎなどという否定的な評価もあるだろうが、しかし『晩春』の句群にはほかの彼女の句集にはないある意欲を感じとることができる。たとえば、人口に膾炙している「ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜」や「ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ」などは、たしかに彼女らしい繊細で的確な表現なのだろうが、しかしそこには驚くような発見を感じない。こういういい方は変だろうが、あまりに平和で日本的なのである。私などは、「やはらかく」なのかと思い、わかるけどそれで満 足してしまう俳人なのだろうなとむしろがっかりしてしまうだろう。掲出句は、楠本憲吉が引用する「朝顔むらさき海に裏側みせて棲む」「湖は霧 逢えばうなずく馬と馬」などとともに、『晩春』中の数少ない成功句のひとつ。
 桂信子にはほかに、『Far beyond the field』(Ueda Makoto著)に英訳されている次の句がある。

 

The cry of water / in the dark, a beast’s eyes / then fireflies
Mizuoto no yami ni kemono no me to hotaru

 

全句集未収録の晩年の句であるが、『晩春』の表現技術と通じる面がある。


[著者略歴]

 

宇井十間 Togen UI

 

1988年頃東大俳句会。大学卒業医師免許取得後、現在まで研究 渡米中。2001年「吟遊」参加(後退会)。2006年「不可知につ いて」により第26回現代俳句評論賞。2009年「千年紀」により 第27回現代俳句新人賞。現在俳句誌「小熊座」「豈」「海程」 等で活動している。句集『千年紀』2010年刊行。

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