讀賣文学賞授賞式・大木あまりさんを祝う会2011.2.20

 

読売文学賞授賞式

選考委員代表・津島佑子さんの言葉

選考委員代表・津島佑子さん

詩歌俳句部門、大木あまりさんの『星涼』。この星涼、星の涼しいと書きますが、これは「宇宙の沈黙の光」とでも慨するのでしょうか。その宇宙の中の地球上に生きる人間たち、あるいは小動物、あるいは植物などの生きる様を、どんなにささやかな事象も見逃さない観察によって浮かび上がらせています。その句は不思議に広々とした時空に私たち読者を運んでくれます。

大木あまりさん受賞の言葉

読売文学賞

 

あの、小動物が場所違いなところに迷い込んでしまったようで本当にドキドキしております。私はヨーヨーマが好きでして、俳句ができないときに、ヨーヨーマのCDを聴くとなぜか俳句ができるんですね。それは、ヨーヨーマと俳句の波長が合うのではないかと私なりに思っております。ヨーヨーマのCDの中に「道歩む人」というのがあるんですね。それは険しい山道を果てしない砂漠を人々がものすごく楽しく歩いて行く様な、そんな想像をさせる面白くて楽しい曲なんですね。で、これからも私は自然をみつめ、そして自分自身を見つめ、道歩く人のように楽しくおおらかに俳句を作っていきたいと思っております。今日は本当にありがとうございました

 


大木あまりさんを祝う会

場所:銀座 ファーストファイブ ガーデン
発起人:藺草慶子 石田郷子 山西雅子 山岡喜美子(ふらんす堂)

喜びの言葉(大木あまりさん)

大木あまりさんを祝う会

 

今晩は、皆様、お忙しいところ「お祝の会」にご出席くださいましてありがとうございました。大切な時間を私のために割いてくださいまして感謝して居ります。
『星涼』を上梓したとき、皆様からお心のこもった手紙やお花をいただきました。今、我が家はお花畑のようで、一番先に春の女神がきたようで心がうきうきしています。
思えば、私はとても幸運でして、素晴らしい出会いがありました。一番最初は私の家族と出会い、次は夫と出会い、俳句始めましてからは角川源義先生との出会い、その次に石田勝彦先生、その奥さまのいづみさんとの出会い。その勝彦先生を通してそれと素晴らしい優れた俳人たちとの出会いました。これからも、ご出席の皆さんたちの仲間に加えていただき、新たな出発をしたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

祝う会にお誘いした皆さまより、句集『星涼』の中から好きな一句をいただきました。

 

五十音順・敬称略

 

安藤恭子

アフガニスタン戦争

骸くるむ毛布何枚あらうとも

今現在の世界に起こる出来事を詠みとめることは、たいへん難しいことと思います。口を噤んでしまうことをよしとしないあまりさんの姿勢、また、詠むことを可能にするあまりさんの「俳句の力」に打たれました。

 

藺草慶子

子がをりて湯船に波や麦の秋

好きな句はたくさんありますが、この句にはとくに癒されます。生きとし生くるものの存在をことほぎいつくしむまなざし。大いなる母性の一句。

 

池田澄子

風切つてくるつばくろよお帰りなさい

このような思いをもって日々を暮らしたい、と思わせてくれる句です。

 

井越芳子

草原に舟をつなぎて世阿弥の忌

草原につなぐ舟とは、どういう舟だろう。この草原の風ともいえない風を、どこかで私も感じたことがあるような気がして心が騒ぐ。〝世阿弥忌〟という力のある季語。

 

石井那由太

きちきちと鳴いて心に入りくる

あまり俳句の切れ味のよさが発揮されている典型の一句。単刀直入ずばりと読み手の心を捉える。

 

石 寒太

逝く猫に小さきハンカチ持たせやる

いま、目の前にあまりさんの猫の絵が掛かっている。他に秀句はあまたあれど、僕にとってのあまりさんは、やっぱり猫である。「炎環」の前身「Mumon」の仲間で、その同人誌に猫のエッセイを連載してもらっていた。その折に賜った猫の逸品である。

 

石田郷子

雛よりもさびしき顔と言はれけり

雛の起源が人の災いを一身に負うヒトガタだということを思うと、俳人大木あまりは人々の哀しみ苦しみを負い、作品に昇華させているのかもしれない。この句にはっとしたのはそんな直感があったからです。

 

伊藤 眠

星涼しもの書くときも病むときも

結婚の誓いの様なと思った瞬間、作者が覚悟を持って俳句と結婚したのだという事が分った。涼し気な星の光の下、どんな状況に置かれても俳人としての生を全うする……但し決して力まずひたすら静かに。この星は配偶者であり作者自身でもあるのだ。

 

井上弘美

冬草や夢みるために世を去らむ

『星涼』は何度も読んだけれど、何度読んでも掉尾のこの一句で見事に完結しつつ、別の次元へと繋がっていく。それは此岸から彼岸へと掛けられた橋であり、哀しみが結晶したような美しさにみちた橋である。

 

岩田由美

野遊びのやうにみんなで空を見て

春の野に立つ「みんな」。白い雲の浮かぶ空を見上げるみんなの中には大切な亡き人も、きっと混じっている。童女の言葉が真実をつくような感覚。そしてなぜか懐しい。

 

宇佐美貴子

父よ母よ乗りませ茄子の裸馬

子どもの頃、お盆のお供えを祖父と作った思い出が一気に蘇った。今はその祖父も父もいない。「乗りませ」という語感が優しくて、大切な人を大切に思う心に深く共感した。

 

浦川聡子

逝く猫に小さきハンカチ持たせやる

あまりさんといえば猫。黒猫で、高貴な猫をイメージする。愛猫が亡くなった悲しみ。その小さな猫にハンカチを持たせてやろうというところに心打たれる。

 

小川軽舟

たんぽぽや鈍器のやうな波が来る

強いものも、か弱いものも、まっすぐなものも、へんなものも、世界のすべてを受容し慈しむやさしさ。

 

小澤 實

握りつぶすならその蝉殻を下さい

命の残したかたちへの激しい思いが、端正に定型に刻まれている奇跡に打たれました。

 

櫂未知子

蝶よりもしづかに針を使ひをり

静謐、かつかすかな色気を感じる作品でした。

 

片山由美子

髪たばね涼しく病んでゐたりけり

「今、体調がよくないの」というあまりさんの電話の声を何度も聞いてきた。その度に心配になるのだが、「涼しく病んで」いるというので少しほっとする。〈星涼しもの書くときも病むときも〉という句もあることだし。

 

川島 葵

草原に舟をつなぎて世阿弥の忌

能を見ていると実際には無い草原や波が見え、激しい人の情感も幽かな灯でしかなく思える。行き場のないと思っていた世界に、どこかへ行く船があるらしい。この句が能に隠された何かを見せてくれた。

 

岸本尚毅

頬杖や土のなかより春はくる

逆立ちしても真似の出来ない句です。

 

木村定生

さからふを知らざる雛を納めけり

雛は大木さんの得意な題です。雛は人形。つまり人の形をしています。なのに「人のように~ない(ししない、出来ない)」というのは、大木さんの作り上げた文体です。雛への思いの強さ、深さが作り上げた文体だと思っています。

 

金原知典

たんぽぽや鈍器のやうな波が来る

一読して忘れ得ぬ句となった。たんぽぽや、と言う優しい上五からは想像することの出来ない中七の表現に圧倒される。そして、見えている波は大きくなくても、流れゆく水の力はとても大きい、と言うことに気がつかされる。一見穏やかな春の景からものの本質を掴み取った佳句である。

 

草深昌子

照りつけて朝のはじまる稲の花

〈照りつけて〉の力強さ、〈朝のはじまる〉晴れやかさ、豊年を約束する稲の花が際立って見えてきます。

 

神野紗希

頬杖や土のなかより春はくる

早春、土中で着々と進められている準備を思う。頬杖をついて、今、ここに見えないけれど、たしかに在るもののことを考える。膨らんでくる春のエネルギーは、いつか彼女の頬杖をとき、野へ草木へと誘うだろう。季節のめぐりを素直によろこぶ、俳人の心が詰まった一句だ。

 

後藤 章

昭和などなかつたやうに鰯雲

「章君 なんだかんだ言ってもあんたも昭和の子だよ」と肩をたたかれている思いです。

 

酒井佐忠

菊の葉の冬に入りたる都電かな

哀愁の東京……私的感慨も含め。

 

島谷征良

星涼しもの書くときも病むときも

生きることの楽しさも辛さもすべて包みこむような「星涼し」。生に対する潔さが感じられました。

 

清水美知代

頬杖や土のなかより春はくる

井戸水の温さを思った。浅春、水を汲み上げると外気温との差で湯気が立ち上る。土の中のその暖かさに諸々の命が動き出す。呟くような音に耳を澄ます作者。頬杖やに、命の先をも思い遣る深い目差がある。

 

下坂速穂

木々どれも葉音をたつる初昔

何か、かなしい出来事があった年を越して、新しい年の風に吹かれているときの句だろうか。風があれば、葉音がするのは当たり前なのに、私はこんなにやさしい葉音を未だ聴いたことはない。

 

城倉吉野

子燕に鼻の穴ある涼しさよ

作者特有の、俗も聖も自在な骨太の句でありますがもう一つ、この句は、小さなかそけき命への、作者の限りない優しさのよく表れた一句と思います。生きてあるものの本質的な寂しさへのいとおしみ、憐れみは「星涼」句集の底を流れて、読む者の心に深く沁み入ります。

 

鈴木 忍

日焼して億光年を話す子よ

 

仙田洋子

夢の世や水をめぐりて通し鴨

春になっても、通し鴨は北に帰らず、取り残されたような寂しさを滲ませる。水もまた無常の象徴だ。そこに、夢のように儚いこの世の寂しさ、存在の寂しさを感知した点が、この句を忘れられないものにしている。

 

高浦銘子

草原に舟をつなぎて世阿弥の忌

草原につながれた舟は夢か現か。世阿弥の名を聞けばそれは舞台の上の景にも思われる。幾重にもフィクションを重ねた夢幻能をみるようでありながら一方で限りないリアリティを感じてしまう不思議。

 

高田正子

干草は脱ぎたるもののごとぬくし

大木さんの比喩はぞくっとするほど素敵です。この句は『星涼』に登場する最初の「ことし」の句。干草のぬくぬく感が人肌でぬくめられている感覚に通じ、また脱ぎたるものが干草の香を放っているようでもあり、なにやらめくるめく一句です。

 

高橋睦郎

蝉の鳴く夜のコンビニの子供たち

明らかに現代風景でありながら、和歌以来の繊細な感性のみなぎる句。まさにあまりさんの独壇場と思う。好きな句がありすぎて選ぶのに迷いましたが。

 

高柳克弘

握りつぶすならその蝉殻を下さい

心無い人、というわけではない。何の悪気もなく、ただ乾いたものが砕けるその感触を楽しみたかったのだろう。そんな程度の存在価値しかないような蝉殻にも心を寄せ、その痛みを自分のことのように引き受け、切迫した訴えを起こす人が、ここにいる。それだけで、世界は生きるに値する場所といえる。

 

多葉田聡

頬杖や土のなかより春はくる

 

津久井紀代

握りつぶすならその蝉殻を下さい

あまりさんの俳句はおそろしい。感性のひとことですむようなものではないからである。心の底から血の滲むようなもの。それがあまりさんの感性である。「願はくは滴りこそを死水に」がそのことを証明している。

 

対馬康子

雛よりもさびしき顔と言はれけり

俳句という文芸に身を投じた、なんとせつなく美しい詩人の自画像でしょう。

 

土肥あき子

頬杖や土のなかより春はくる

暗い地中から身をよじって出てくる今年の春。作者の繊細な優しさが「頬杖」に象徴され、今はまだ一面の土である地表を静かに見つめている。

 

鳥居真理子

わが死後は空蝉守になりたしよ

 

鳥居美智子

男郎花ここに早瀬の欲しきかな

枯れ初めた野を疎らに染める男郎花。白い小花が精一杯背延びして乾いた風に抗う。その孤独感、喪失感に加えて作者は早瀬が欲しいと言う。労りや慰めではない。そこに滅びにさえ憧れを抱く詩魂を見る思いがする。

 

中田尚子

麦笛や野に坐す吾はこはれもの

作者の少女時代を思う。自然に絵画に詩歌に、大人達の言動に、少女の感受性は豊かに反応したに違いない。麦笛の細い音が、ガラスの心と共鳴する。

 

中西夕紀

かりそめの踊いつしかひたむきに

俳人大木あまりの自画像である。踊る恍惚感すなわち、作句の恍惚感が核として存在する。

 

中村堯子

雛よりもさびしき顔と言はれけり

か細いからだのあまりさんがお雛様のような小さな口で力いっぱい喋る姿は、さびしく、いじらしいのです。そしてその俳人大木あまりは私の先輩であります。

 

名取里美

かりそめの踊いつしかひたむきに

すこし踊ってみようかな、と踊の輪に入る。見様見まねで踊るうちに、楽しくなってくる。心が弾んでくる。そして懸命になっている。そのひたむきさに気付くか気付かぬかは人の世の怖しさでもある。

 

仁平 勝

夕焼は遠し街からも誰からも

〈握りつぶすならその蝉殻を下さい〉と双璧の淋しさです。淋しい人はきっと優しい。

 

林 誠司

ひんがしに離宮のありて月の茸

私が見本としているあまりさんの二句一章の典型的なスタイル。このひびきあいこそ俳句なのだ。

 

東川治美

水を吸ふ凍蝶に紋ありにけり

空の深さ、水面の輝き、凍蝶の翅の細かな震えが浮かび上ってくる句。作者の小さな生き物に対する深い観察眼と〝共振〟が表出した空間。静けさの中に切なさもあって好きな句です。

 

日原 傅

涼しさを力にものを書く日かな

「星涼しもの書くときも病むときも」「髪たばね涼しく病んでゐたりけり」と共に作者の自画像と思われる。「涼し」は夏の暑さを踏まえての季語。暑に耐えて創作活動を続ける作者のひたむきな姿が髣髴とし、読み手側も励まされる。

 

広渡敬雄

父のこと少し書きとめ燕の子

たまたま父である詩人大木惇夫を記した時期が、燕の子育ての真っ盛りの頃だったのだろうか。燕の子=大木あまりと解すると、末娘に対する父の深い愛情と、生涯父への情感で目頭を熱くする作者を思う。「子燕に鼻の穴ある涼しさよ」はその続編と見ると更に興味深い。

 

福島晶子

星涼しもの書くときも病むときも

写真家だった私に、二十年間俳句のご指導をしていただきました。句会やお散歩などでお友達のようにしていただき、今では俳句が大好きになりました。この句はあまりさんの俳人生活そのものです。

 

藤井康栄

星涼しもの書くときも病むときも

 

藤本美和子

水を吸ふ凍蝶に紋ありにけり

水の力を得て凍蝶の紋がいっそう鮮明になる。まるで水占みくじのようだ。定型の器が水で満たされ、目に見えぬ水の力が働くのがあまりさんの俳句である。

 

満田春日

レイテ戦記皿の葡萄が消えてゐる

空前の海戦で失われた空母のように、戦艦のように葡萄は消えて白い皿が残る。葡萄一房の残像は作者の父、大木惇夫、その『戦友別盃の歌』が意識下にないとは言えまい。

 

宮田浩介

春風と行けば近道あるごとし

句に詠まれた感覚と呼応した真っ直ぐで生き生きとした作風が気持ち良い。「春風」の後押しを体現した句またがりは極めて自然かつ効果的で、光景の中の語り手の存在にも不思議な透明感(あるいは不在感?)がある。

 

宮田毬栄

たんぽぽや鈍器のやうな波が来る

ギザギザの葉に黄色の花弁をそよがせ、白い冠毛を自在にとばし、たんぽぽは生きる。可憐で繊細な姿でいて、塀のすきまや線路のバラストにさえ咲く生命力。そのたんぽぽに鈍器のごとき波を連想する感覚は非凡だと思います。「鈍器」の表現を俳句に持ち込んだのは発明です。

 

村上喜代子

死ぬまでは人それよりは花びらに

『星涼』は芭蕉のいう発句みな辞世、を思わせる。その心がすべての物へのいとおしみになっている。やさしくて淋しくて深い句集である。

 

柳生正名

星涼しもの書くときも病むときも

道元禅師は「冬雪冴えて涼しかりけり」と詠んだが、全く同じ境地にあまりさんも立たれていると思う。生のあらゆる局面に涼しさを見出す、そのまなざしの涼しさ。

 

矢島渚男

握りつぶすならその蝉殻を下さい

 

山西雅子

握りつぶすならその蝉殻を下さい

この句を読むと思わず手を開いて、てのひらを見つめてしまう。そうして、いつしか気にも留めずに握りつぶしていたものに気付かされる。

 

ふらんす堂スタッフ

山岡喜美子   田中裕明紛れをらむか雛市に

欠畑 緑    髪の毛に憑きものつきし夜の柿

中井 愛    蟷螂の影うつくしと描きをり

原見優明美   ばきばきとキャベツはがして仲直り

山岡有以子   野の蝶の触れゆくものに我も触る

 

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