写生句? 岩田由美2010.3.21

 

水道管地中に岐れ春の暮

(『緑夜』)

 水道管が分岐している様子がありありと見えているとは考えにくい。道路工事の多い春先に、露出した水道管が土にまみれているところを見たことはあったかもしれない。穴の底で太い鉛管が土の表に覗き、細く分かれていくところがたまたま目に止まることはある。しかしその情景自体はこの句のきっかけにすぎないだろう。
 写生句としては、あるいは音を捉えたとも考えられる。人通りのふと途絶えた街路で、足元から響いてくる水の音だ。耳を澄ませば流れの分かれていく音も聞き取れる。聴覚に集中すれば、音の質や大小で、思いのほか音源の遠近はわかるものだ。いったん聞こえ始めると先々から伝わってくる水の音。その音の景色を包み込んで、「春の暮」。
 「岐れ」という言葉からは、一箇所の分岐というよりは、次々に分かれていく網の目のような広がりが想像される。街の地面の下には、静脈のように枝分かれしながら広がる、水道管の網がある。目に見えた景色だけでも、耳に聞こえた景色だけでもない、心に感じられた水道管の景色だ。
 理屈ではなく、感覚として水道管網が浮かんでくるのが、この句の不思議な魅力だ。そう言われてみれば、と読み手の脳裡に景色が浮かぶのが写生句ならば、この句も立派な写生句と言える。
 「春の暮」という季題が含む情緒は、身体に感じるけだるさや、その反面に妙に浮き立つ心、湿った空気、いつまでもぼんやりと明るい空などだろうか。「春の暮」をテーマとして現代の暮しを支える水道網を詠み込む。心と身体がいくぶんずれるような「春の暮」の中で、目に見えるはずのない地中の景色を見てしまう、見せてしまうこの句にも、桂信子の繊細な感覚が生きている。


[著者略歴]

 

岩田由美 Yumi IWATA

 

昭和三六年岡山市生れ。波多野爽波に師事。その主宰誌「青」を経て、「藍生」「屋根」に所属。八九年第三五回角川俳句賞受賞。九三年第一回藍生賞受賞。句集に『春望』『夏安』。著書にエッセイ集『奥の細道―旅をして名句』。共著に『夫婦の歳時記』。

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