俳人協会四賞授賞式2025.3.17

名栗の話をさせていただきたいと思います。『万の枝』の背景になったというか、舞台になった山里なんですね。最近ムーミンのことで脚光を浴びている埼玉県飯能市にあります。そこの旧名栗村、いまは名栗地区と呼ばれています。名栗川というのは入間川の源流になります。幕末に打ち壊しという百姓一揆が起こった村です。なんと、俳句が盛んだったそうで、昭和30年頃までのお堂に奉納してある俳句がいっぱい残っております。水原秋桜子先生、石田波郷先生もいらっしゃっているような縁のある土地だというのは引っ越してから知りました。名栗というといかにも自然に満ちあふれている山里というイメージをもたれると思うのですが、実際にはそんなことはなくて、山が全部杉で覆われている状態なんですね。川も年々細っている、という状況です。そういう環境という問題を目の当たりにして暮らしております。そういう気持ち、危機感を持った気持ちというのを本当は『万の枝』の句の底流に流れているんですが、まだ伝えきれていないだろうなと思っています。これから目指していくとしたら、そういうことを言わなくても感じ取ってもらえるような、そういう俳句を作っていきたいと思っています。今回、俳人協会賞という大きな重い賞をいただいて、そのような思いをあらたにしております。

山桜の季節になりました。熊野人は「山桜は二度咲く」というふうに信じてきました。早咲きの山桜と遅咲きの山桜がふたつあるとずっと信じてきたんですが、近年、ある学者によって、早咲きの山桜は別種ということ分かりました。熊野桜と命名されています。熊野の人間はそれを聞いたからといって別に驚かない。「ああ、そうなんだな」と。句集のあとがきに「しみじみと、ひたすらに、意味を消す」と書きましたけれど、まさにその通りで、植物学的な意味などどうでもよくて、それが熊野人らしいと僕は思います。そこに文字とか形ではない自然信仰というものがあったとすれば、別種と分かってもそれはかまわない訳です。今回の受賞は僕にとっても、主宰する運河にとっても喜ばしいことですが、この賞が自分の作品を保証してくれるなんて思っていません。萎縮もしません。変な自信をつけたりもしません。「しみじもと、ひたすらに」それを受け入れていきたい。自分の信条や行動を律してやっていきたいと思います。しみじみと、ひたすらに、俳句の神様に感謝いたします。ありがとうございました。

僕の句集は欠点だらけの句集であります。今の俳壇的には上手な句、それから何か新しいものがある句というのは、僕らの同世代の中には流れているように思います。みどり女先生の言葉に「下手でも真面目な句」というのがあります。僕も「下手でも真面目」というのを目指しております。西山睦先生、蓬田紀枝子先生をはじめ「駒草」のいろいろな先人の方々の影響を受けながら学んでおります。欠点だらけの不器用な句集ですが、そういう句集に賞をいただけて嬉しく思います。新しくなくても古くならない句を作りたいと思います。これからも不器用なんだけれども、誰かの心に響くような俳句を作っていきたいと思います。

賞の選考経過において、『耳梨』については「安定感があって、正攻法は良い」というお褒めの言葉もいただきましたが、反対に「型にはまりすぎてないか?」や「新しみに欠ける」など、という評もいただきました。確かに自分でも自分の作品は硬いな、と思っていますが、先ほども藤本美和子先生からも「型をこれから極めて下さい」という励みになる言葉をいただきました。鷹に入ってから俳句を始めました。基本の型というのが大事な道しるべとして疑わずにまっすぐす進んで来ましたので、それを極めながら幅広い句を詠んでいって懐の深い俳人になりたいな、という贅沢な野望を抱いています。新人賞というのは期待込みの賞だとお思いますので、これからも精進していきたいと思います。

今回の『名句水先案内』という本の私的な動機は、さまざまな俳句感によってつくられている多彩な句集を読ませていただいて、その中から私なりに選び鑑賞するということで、自分の選を鍛える。皆さんの胸を借りて武者修行に出たという私的な動機がありました。雑誌の連載を書き進めながらも、この句でいいんだろうか、この解釈でいいんだろうかということを常に思い悩みましたけれど、最後は一読者として、私に喜びを与えてくれる俳句を選び、鑑賞できたつもりでございます。そういう意味では、取り上げさせていただいたすべての俳句、作者の皆様に心から感謝を申し上げたいと思います。おそらく、書いてある内容には突っ込み処が満載だと思いますが、突っ込んでいただくことによって、2010年以降の俳句が更に鍛えられ、深まっていくんだと思います。その契機になる本ということで、ご評価いただけたんであれば、それに勝る喜びはございません。本当に大きな賞をいただきまして、ありがとうございました。心から御礼申し上げます。

私は林火の晩年の弟子です。6年間師事していましたが、地方に住んでいたため、直接な指導も受けておりませんが、たった6年ですが、林火との機縁を感じます。林火は根っからの詩人でした。臼田亜浪に師事したことで、誠の精神を学びました。いつも「まことまこと」と言っていました。それから虚子を研究することによって、句に骨格を与えたんですね。そしてさらに芭蕉の軽みを目指した人、というふうに私は理解しております。俳句や俳壇に新風を吹き込んだひとでもあります。林火に出会えたことは本当に幸運なことだったと思います。

現在の新潟大学医学部にあたります、旧制新潟医科大学で教授をつとめた俳人達、中田みづほ、高野素十、浜口今夜、及川仙石を中心に師の高浜虚子との関わりなどをまとめました。高野素十の俳句の業績につきましては、あらためて申し上げるまでもないかと思います。新潟医科大学におきまして、素十は法医学教室教授を務め、戦後は短期間ですが学長も務めました。中田みづほは、「まはぎ」を通して長きに亘り新潟の俳句界を指導しただけではなく、特に脳外科の分野で先駆的な業績を上げました。浜口今夜と及川仙石につきましては、素十の瑞穂の同僚として、その理解者としてその活躍を支えました。本年は中田みづほ没後50年にあたります。そのような年にみづほについて書かれた拙著が賞を受けることになりましたことは、非常に意義深いことと思っております。今回の受賞を励みとして、文章はもちろんのこと、実作にも一層努力したいと考えております。
