2024年11月13日に京都のガーデンパレスで行われた俳誌「風土」(南うみを主宰)65周年のお祝いの会をご紹介したい。
「風土」創刊65周年記念号
ご挨拶をされる南うみを主宰。
「風土」は、昭和35年に神山杏雨主宰、石川桂郎編集長として出発しています。39年に神山杏雨が退き、石川桂郎が主宰となり、「自分の顔のある俳句をつくれ」と「風土人」に呼びかけ、結集をはかりました。昭和50年桂郎亡き後、主宰を平本くららが引き継ぎ、昭和54年に神蔵器にバトンタッチしています。神蔵器は桂郎の「自分の顔のある俳句をつくれ」に、相手(対象)の命と向き合う「命二つ」の理念を加えて、「風土人」に俳句作りを浸透させ、平成28年までの長きにわたり主宰をつとめました。私は二人の先師の理念を継承しつつ、その業績を顕彰することを課題としてきました。幸いに、この五年間で、神蔵器の俳句表現の軌跡をたどり、『神蔵器の俳句世界』を、さらに石川桂郎の俳句人生を伝える『石川桂郎の百句』を刊行できました。先師二人の俳句の世界を、世に知らしめることは、わたしのみならず「風土人」の喜びとなったと信じています。
「六十五周年をむかえて」と題した南うみを主宰の一文を抜粋して紹介した
この記念号は、充実した記念号で、三つの特別寄稿が収録されている、青木亮人さんの石田波郷論、細谷喨々さんの石川桂郎論、そして南うみを主宰の神蔵器論である。
昨日のお祝いの会では、来賓として細谷喨々氏が招かれご挨拶をされたのであるが、このご挨拶がたいへん面白いご挨拶であった。そこで青木亮人さんの石田波郷論「『私』に徹し、『私』を超えた句業」にふれて、とても優れた波郷論であると語られる。この波郷論は、句集『惜命』を中心に考察されたものであり、一読すべきものであるとわたしもおもう。
細谷さんのご挨拶のなかでわたしには二つのことが印象に残った。
まずは、青木亮人さんの波郷論を読んでの細谷さんの感想として、「波郷の作品の丈の高さに感動し、俳句をつくるということはその人なりの高さを目指すことではないか。」と思われたこと。また哲学者西田幾多郎にふれて、「哲学の動機は、驚きではなくして深い人生の悲哀でなければならない」という西田幾多郎の言葉を引用しつつ、「悲しみは人生の味わいになるのでそのことを胸に俳句をつくって欲しい」とご挨拶をされたのだった。
細谷喨々氏。
細谷さんは、記念号への特別寄稿において、
南うみを著『石川桂郎の百句』について、「
私にとって『やっと出た』と思える一冊だった」と記されていて、桂郎直弟子の細谷さんのお言葉として版元としてもうれしかった。
祝賀会は、「風土」につどう会員の皆さまがつぎつぎと楽しいご挨拶をされ、わたしも久しぶりにお目にかかる方々もおられなつかしいひとときとなった。
六十五周年という歳月をもつ俳誌「風土」を会員の皆さんお一人お一人が中心となってお祝いをしている、そういう祝賀会だった。
南うみを主宰をはじめ、鹿児島県出身の方たちによる鹿児島弁の合唱。
「ちゃわんむし」という歌。
訳してもらわないとちんぷんかんぷんだった。
最後は「ふるさと」を全員で熱唱。
南うみを主宰(右)と細谷喨々さん。
南うみを主宰をはじめ、「風土」の皆さま、創刊六十五周年おめでとうございます。
こころよりお祝いを申し上げます。
お祝いの会は、たいへん楽しい会でした。
また、お目にかかれますように。
(ふらんす堂「編集日記」2024/11/14より抜粋/Yamaoka Kimiko)