第9回俳句大賞贈賞式2024.2.15
2月11日(日)13時より、千葉県のホテルポートプラザちばにて、第9回俳句大賞贈賞式がおこなわれた。
コロナ禍では対面句会や吟行会は全く行われず、全ての句会が通信句会で行われました。そういう時期の句を纏めたのが今回の第三句集『素描』です。
そのために私の身辺や、教会での生活、オルガン奏者としての面などの私自身の素描をまとめたものになります。敬虔なクリスチャンとは言えず、日曜日の礼拝が句会とバッティングすると句会を選んでおりました。そうすると牧師から電話があって「君
の信仰生活はどうなっているんだ?信仰と俳句のどちらが大事なのか」と問われ「俳句です」と応えるようなこともありました。俳句にすごく熱中してたころでした。
今ではオルガンの講師を月二回行い、そのあとに句会をやっています。
言葉にしてみれば教会や音楽用語が自分の俳句の中に出てくるようになりました。そういう句集を評価していただけたことを嬉しく思います。今回この大賞を頂きましたことを励みにして、自分らしい句を作っていきたいと思います。
かつて若い頃に事故で右手に大けがをして右手が使えなくなってしまいました。それまで運動はなんでもこなすスポーツマンだったのですが、親を悲しませないひための一つとして俳句をはじめました。そういうことからして今日の受賞はとても嬉しいです。
「物に語らせ、目に見える俳句を」というのを作句信条としてやってまいりました。目に見えるような俳句を目指してずっと遣って参りまして、それが評価されたのかなと思っております。ところが困った事が起きました。私の目が見えなくなってきたんです。40年前に眼科から「緑内障だ」と宣言されまして、それから少しずつ症状が進んで参りまして、今末期にさしかかってます。皆さんのお顔をぼーっとしか見えておりません。そういう状況で、目に見える俳句を作っていけるのか、そう自分に問い掛けて暗い気持ちになりましたが、先師、登四郎先生の言葉を思い出して力を取り戻しました。私が直接聞いた言葉ではなく友人から間接的にきいた言葉です。登四郎先生は吟行のときに句帳をお持ちになりませんでした。近くにいた方が「どうして先生は句帳をお持ちにならないんですか?」と尋ねると、「私は見たことはそのまま句帳に書かないで頭の中に収めておく。そして後々家に帰ってからゆっくりと頭の中で発酵して詩になった言葉を紡ぎ出すんだよ」ということを仰ったそうです。私はいままで随分たくさんのものを見て参りました。ですから頭の中に入っている情景がどんどん発酵して詩になろうとしているんではないかと思います。そういうことを思いますと、これからもまだまだ何十年分も句の種は頭の中に入っているわけですからこれからも第三句集を目指してがんばっていきたいと思います。