草深昌子句集『金剛』
出版記念会2017.1.29
皆様本日はご列席頂きまして本当にありがとうございます。この霞が関35階、誠に高いところからではありますが、心より御礼を申し上げます。今日ご列席頂きました俳人の皆さま、句友の皆さまを前に致しまし、私って何てここまで多くの俳句の先生、俳句の皆様に恵まれて来ましたことかとつくづく幸せに思いました。それでちょっとその一端を語らせて頂いてもいいですか、語るほどのこともないんですけれども(笑)私が初めて句会に参加いたしましたのはもう40年前のことです。このように春も間近な頃のことでございました。先生は飯田蛇笏の高弟で植村通草先生です。先生はいつも美しくお着物をお召しでございましたけれども、私にとりましてはとても何ていいますか、「おばあちゃん」という印象が強くありましたね。いつもおばあちゃんと思っておりました。よく思えば私の今の年齢だったんですね。ところが私は厚かましいことでございますけれども、自分のことを少しもおばあちゃんとは思ってないんですね。本当にあっという間に日が経ちました。十年一日の如しといいますけれど、私にとりましてはまさに四十年一日の如しというところでございます。早春やニコライ堂の薄緑これが私の初めての俳句でございます。これを出しましたとき先生が「参った参った、もう私にはこんな俳句はできないわ」とすごくほめてくださったんですね。それですっかり俳句にはまってしまいました。でもその喜びもつかの間で、すぐその後からは出句するたびに「それがどうしたの」って言われてとても厳しくて、それで何回も泣きましたね。まだ30ぐらいの若さでしたから。とことん「それがどうしたのよ」って責めてくるんです。でも今はその厳しさを懐しく思い出されます。この初めて入りました「雲母」という結社は何千人も会員がいまして、飯田龍太先生が遠くはなれてお住いでしたから郵送で作品を送るだけなんですね。そうしますと、自分で「今回はうまくいった」って、すごくいいのができたと思うのは全部アウトでしたね。それでふっと見たまま感じたままを書き付けたような句がどういうわけか入選するんですね。自分のほんとうに正直なことをふっともらしたような句が。それが私は遠く離れているのにどうして飯田龍太先生は私のことがわかるんだろうってずっと何かこう、目をつけてくださっているような気がして、それが私の初学時代の飯田龍太選というものが非常に不思議でしたね。それから私は「鹿火屋」に入会いたしました。「鹿火屋」は原裕先生の結社です。そこで出会いましたのが本日ご列席の岩渕喜代子先生です。岩渕喜代子先生は当時の「鹿火屋」のトップの俳人でございましたけれど、恐れ多くも、毎日毎日俳句の交換を葉書でいたしましたね。今だったらiPhoneとかでやるんでしょうけれども(笑)毎日毎日一句を葉書に書きつけて投函することもやりましたし、テーマも出して何十句何百句と競泳するというのもやりましたし、全国津々浦々吟行にいきまして、本当に切磋琢磨ということをさせていただいたんですね。俳句っていうのはただ黙ってつくるしかない、そういうことを教えて頂いたんです。黙ってつくるしかないという純粋無垢の精神を養って頂いたんですね。今以てそれを徹底して教えられています。それから出会いましたのが、「晨」の大峯あきら先生、山本洋子先生に出会いました。この幸せな出会いを機会に、私は俳句を一から勉強し直すことにしたんです。その大きな力になっていただいたのが、先ほどご挨拶をされた岸本尚毅先生でございます。私は普段「尚毅さん、尚毅さん」と呼ばせて頂いていますが、いつも心の中では最大の尊敬の念をもって「岸本尚毅先生」でございます。先生なくして今の私はございません。こういうことを初めて申し上げますけれども、尚毅さん、本当にありがたく思っております。岸本尚毅先生はもう20代の頃から俳壇屈指の俳人として高名の先生でいらっしゃいましたから、私が初めて句会に参加するときはドキドキしましたね。それからもう20年近く経ちますけれど、未だにドキドキというか緊張の連続ですね。慣れ合うということがないです。その割にはビールを飲んでふてぶてしいんですけれども(笑)気持ちの中では非常にドキドキしてるんですね。いつまで経っても慣れることがないです。ですから句会で先生の作品に触れるたびに驚かされますし、選者の御選があるたびに驚かされますし、俳句の醍醐味ということをそこで味わっています。考えてみましたら先生は長身でスマートな方ですから、「俳句の実作」というのが右足にあたるんでしょうかね。それから「俳句の鑑賞」というものが左足にあたるのでしょうか。その自然な歩き姿が俳句の鑑賞と実作というになるとおもいます。その俳句の鑑賞と実作が不可分の関係で繋がっていてああなるほどと頷かされますね。そこで私は、初めに申し上げました飯田龍太先生の「俳句の選の不思議」がだんだん解けてきまして、今頃になって選のありかたがようやくわかってきたように思います。これはすべて岸本尚毅先生の句会に出させて頂いておかげで、今更ながらありがたく思っております。それで申し遅れましたけれども、本日このような会をお作り頂いた松尾まつをさま、松尾さまは松尾家の子孫だと私は勝手に思っておりますので、松尾まつを様は、先生をしながらなおかつ私の句会「青草」に入って来て下さった方なんですね、そういう方を含めまして、ここにお集まりの、青草の私の教室にずっといらしてくださっている皆様に一番心から御礼を申し上げたいと思います。今になって通草先生の気持ちがわかるんですね。私は皆様の元気いっぱいの俳句に対して、「参った参った」の連続です。本当に老いている暇もなくて歳をとってる暇もなくって、いつも清新な気持ちで立ち向かわなければなりませんでした。青草の皆様にお会いすることもなければ、今日このように「金剛」という俳句出版にはいたらなかったと思います。生まれなかったとおもいます。「金剛」というタイトルは、金剛山のことではありますけれども、金剛石という極めて硬い石を連想するとおもいます。これも参加してくださっている方に伺っている「金剛石も磨かねば玉の光も添はざらん」というような昔の歌もあったそうです。金剛石も磨かねば光ることがないでしょう、という意味でしょうね。これからも俳句は一人ではできませんので、皆様のお力を借りまして、俳句という堅牢なるものをひたすら磨いてまいりたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。最後にはなりますけれども、私の青草の中で、最高齢の吉田良銈様という90歳の方がいらっしゃいます。その方の年賀の1句をもってご挨拶に代えさせていただきたいと思います。青草や青いやまして草深く 良銈本日はどうもありがとうございました。
鷹よりもはるけく鷹のこゑ来たる 草深昌子 (『金剛』より)
(ふらんす堂「編集日記」2017/1/30より抜粋/Yamaoka Kimiko)