第33回詩歌文学館賞2018.7.25
岩淵喜代子です。今日はどうもありがとうございました。私はあまりこの「詩歌文学館賞」という賞を認識しておりませんでしので、賞を頂いた時に驚きました。どんな方が受賞されているのかホームページで調べてみました。平畑静塔とか加藤楸邨とか、私にとっては伝説的な作家達だったんですね。詩人はどんな人かなと思ったら、まだ健在でいらっしゃる清水哲男さんが第一回だったんですね。ここに来るにあたって、清水さんとメールのやりとりをした際に、「北上は今が一番良い季節ですからどうぞおもいっきり楽しんで来て下さい。」とお言葉を頂いて、今日はそのつもりでやってきました。賞を頂きました『穀象』ですが、先ほど選考委員の高野さんが充分にいろいろなお話をしてくださったので、私としては穀象をなぜ詠んだというお話をしたいと思います。本当にことを申し上げると、私は「穀象」を見たことがないんです。なぜ、穀象を見たこともないのに詠むのかなというと、この穀象っていう文字面をご覧になったらおわかり頂けると思うんですけど、すごく魅力的な文字ですよね。どんな虫かしら、というその興味で詠んだのが「穀象に或る日母船のやうな影」の句です。私はときどき見てない物を作る癖があるんですけれど、例えば「夜光虫」もこの句集には出てくるんですが、それも見てないんです。夜に海で泳いだなんて経験もないものですから。それで「夜光虫の水をのばして見せにけり」見たいなという思いで作りました。「狐火」というのもあります。見てみたいと思います。「狐火のために鏡を据ゑにけり」という一句にして、その見たいという気持ちを表しました。たぶん「見たい」という気持ちが作らせるんですけど、詩的なかっこいい言葉にすると「憧れを詠む」のかなと思っております。ただし、これだけお話すると、「じゃあ、見た物も見ない物もざくざくと作れるのではないか」と思われてしまうのですが、本当は毎日毎日、私は「明日は俳句は作れるのかな」という思いでおります。「明日また違うものが作れるのか」という不安があって、それはこれからも変わらないと思います。ですけれどもそういう中でこの賞をいただいたということを大きな私の節目としたいと思います。また、前と同じように1から始めるのかなと思います。これからも皆さんどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。