「橘」五百号お祝いの会2019.7.30
振り返って見ますと私も「橘」との関わって大分年月が立ちました。大学時代に松本旭に出会って、ちょうど「橘」が雑誌になる頃ですね。今日はそういったお話も本阿弥秀雄様からお話し頂くんですけれども、ちょうどその頃に私が大学生で俳句を始めたころなんですね。卒業してすぐに編集を手伝わせていただき、その時にはもう本阿弥秀雄さんが編集長でバリバリとやっていただいていておりまして、一緒に最終校正をしたのを懐かしく思い出されています。その時に一緒にいてくださったのが針ヶ谷隆一さん、残念ですけども先月お亡くなりになりました。そんな事も思い出されます。毎月毎月ですね、校正をして終わりますとちょっと一杯引っかけたり。そんな懐かしい思い出もすでに30数年前の出来事です。旭先生、翠先生が亡くなられてからも、もうそろそろ4年が経とうとしているという、時間というのはどんどんどんどん過ぎていくものなんですけれども、でも我々、時間に追われるのではなく、時間を追いかけていきたいなと思います。編集の仕事も結局そういうことですね。前を前を見ながら、そこでどんどんどんどん時間に近づいていく、時間を操るように、そんな「橘」であってほしいなと思ってこれからも頑張って行きたいと思っています。今日は500号ですからね、改めて「橘」の目指すもの、これを皆さまにもう一度確認して頂く気持ちで読み上げさせて頂こうと思っています。私も大変大好きな「橘」の目指すものの三項目です。
「一、私たちの生命(いのち)は、一回限りである。密度の濃い人生を送らなければならない。そのために私たちは俳句をつくる。“生きることの証明”につくると言ってよい。」私たちの生はこのように本当に一回限りの生を精一杯に生きて、旭先生も翠先生もそうでしたし、橘の諸氏も自分の生をまっとうして俳句を一生懸命つくって、今頃空から我々を見守って下さっていることと思います。?「一、対象世界を、自分の感動をしっかと見極めなければならない。いわゆる“感動の焦点化”を行う。写生の大切な所以である。」我々が「橘」を通して俳句を作っていくというのは、目の前に季節の言葉「季語」があってそこに自分自身をどう灯影させていくかということに真向かいながら、そこで感動の焦点化をしながら俳句を作っていく。「生きる証」につくる俳句というのは自分がそこにいなくてはいけないと思います。しっかりと自分を持って、自然と向き合って、その中から生まれてくる五七五が自ずと「橘」の一句になっていくと思っています。
「一、自分を“生み出しもの”への感謝を忘れまい。そこから豊かな俳句が生まれる。」私はこの三つの項目の中では三番目が一番すきです。何故かと言いますと、一つ目二つ目は同じような言葉を結社の指針としているようなところは沢山あると思うんですが、三つ目の「生み出でしものへの感謝を忘れまい」というのを指針として表に出している結社というのはそんなにないんじゃないかなと思います。その辺りが松本旭が一番言いたかったことなんじゃないかと思います。もちろん、両親であり、祖先であり、あるいは仲間、広げていけば大自然そのもの。最近は宇宙開発も進んでいますが、宇宙の中の地球であり、地球の中の日本である、そして日本の中の我々であり、そして俳句をつくる仲間である、とどんどんどんどん感謝の輪を広げることによって我々も自然に近づくことができるのではなかろうか。感謝の心も持ちながら、自然と向き合う、その中で一生懸命自分の生涯を俳句に向かっていくというような姿勢で、700号、1000号と目指して行ければと思っております。
師・松本旭の『松本旭句集大全』〔橘俳句会・篇 本阿弥書店刊)が刊行されたばかりである。