第53回蛇笏賞超空賞2019.7.1
「作品は私と真逆であるが、三重丸をつけたいくらいの思いがあった。」
凄まじい人生を清冽に生きた、「凄春(せいしゅん)の俳人」と呼びたい。
仲 寒蝉氏
大牧先生の代理でご挨拶を申しあげます。去る4月20日、私の師である大牧広が膵臓ガンのためなくなりました。その死を嘆き悼むとともに、「港」はわたし一代で終刊するという師の言葉にとまどいました。しかし、蛇笏賞の受賞の知らせを生前病床でお聞きになったという事実のに一同みな喜びました。審査の過程では、さまざまな意見が交錯し、今回は受賞作ナシという可能性もあったことを「俳句」6月号で知りました。最終的に師の句集『朝の森』を受賞作とする決定を下された審査員の皆様ならびに角川歴彦理事長ににこころより感謝を申し致します。師・大牧広はひたすら生真面目に俳句のための人生を歩んできました。最後の入院の直前まで背中をまるめ机に覆いかぶさるようにして書いていたそうです。庶民の目からみた社会を詠むという本当の意味での社会性俳句を一途につきつめた人でした。晩年になっていっそう偏屈なほどひたむきに作句の社会性を追求しそのことが今回の受賞につながったのと革新しております。4月13日亡くなる一週間前のボイスメモをそのまま読ませていただきます。
蛇笏賞の受賞、これは望外の喜びです。夢が現実になるとは思わなかった。これに傲ることなく、俳句の道でお役に立てることがあれば、とても有難いことです。
ここに至ってもなお俳句の行く末に思いをはせるという熱心さには頭が下がります。私事になりますが、わたしの父も亡くなりました。母に看取られて在宅死。享年92。師よりも4年の年長でした。おなじ昭和一桁世代として同じ消化管のガンの手術を経験したものとして師は父の様子を気にかけてくださっていました。本来ならば代理で賞をいただくのは、娘である山田まりさん、小泉瀬衣子さんの役目なんですが、ご遺族のたってのお願いであり、不肖の弟子である私がつとめさせていただきました。改めまして皆様本日はありがとうございました。
超空賞は、歌人の内藤明氏の歌集『薄明の窓』(砂子屋書房)が受賞。
内藤 明氏
賞をいただきまして恥ずかしいやら嬉しいやらです。わたしは昭和29年生まれ65歳、前期高齢者なります。年金がもらえる歳になりました。わたしの上の世代がいわゆる団塊の世代、下の世代が新人類と呼ばれる人たちでそれぞれ大きい塊で力を持っている、どうも私のは谷間のようなところで女性は非常に活躍をしてるんですけれど男性はなかなかという、私もそういうことでチンタラチンタラ歌を作ったり、ちょっと研究的なことをやりながらこうやってきたんですね。短歌をはじめたのは先輩に誘われて「まひるの」というところに入りました。そこで歌を作り始めたんですけれどそれほど一所懸命ではなかった、30歳くらいの時に武川忠一の「音」に参加してすこし一緒懸命につくるようになったということろです。しかし、なんとなく身がはいらないような形でやってきたんではないかと思います。たぶんこの歌集ぐらいの時に、たまたまだったんだけどもう一度覚悟しろというふうなことを意識したようなところがあるかもしれません。日本の古典について書いたりしたことを通してたくさんのものをいただいてきたのではないかと思います。恵まれた環境で時流にあまり流されることなくやって来られたのは非常にありがたかったんではないかと、いま考えるとおもうわけです。折口信夫の書いたものからたくさん勉強させて貰いましたので、超空という折口の名前を冠した賞をいただけたのはたいへんありがたいし励みになります。いろんなものをちょっとずついただきながらここまでやってきたので、そういったことを評価していただけたのはたいへん有り難いことだと思っております。私はどちらかというとマイナー指向ですのでこれからもマイペースでやりたいと思いますので、皆さんよろしくご指導のほどお願い申しあげます。