俳誌「沖」創刊55周年の祝賀会2025.10.30

 

 

グランドヒル市ヶ谷でおこなわれた俳誌「沖」創刊55周年の祝賀会を紹介したい。

 

晴れた日となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご挨拶をされる能村研三主宰。

 

今日は皆さまにこうしてお集まりいただきありがとうございました。
今日があるのは、「沖」会員のひとりひとりの俳句に対する熱心なおもいにささえられてきたおかげであると思っております。
今回55周年という大きな節目となるわけですが、ちょうど50周年がコロナ禍によって再三延期をしましてなんとかそれなりのものができたのですが、今回の55周年は「55(ゴーゴー)沖」という志で、このような記念の会をいたすことができました。この後の5年後は60周年という還暦をむかえるわけですけれども、そして二代によって「沖」をつないでいくということになりますが、、俳壇の先生方のご指導もありまして、なんとかやってまいりました。
「俳句はあたらしくなければいけない」という登四郎の志を心にふかく受け止めて、「沖」の仲間とがんばっていこうと思っております。
今日はたくさんの方においでをいただいてありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いもうしあげます。

 

ご挨拶をされる森岡正作副主宰。

 

わたしが研三主宰から副主宰をと言われたのは、平成30年であります。その時に思い出したことは、学生時代の句友、島谷征良さんのことばでした。「森岡、『沖』はすごいんだぞ。登四郎先生が主宰で、副主宰に林翔先生がいるんだ。俳壇の七不思議だぞ」。その島谷さんの言葉がよみがえりまして、ああこれは責任あることだ、林翔先生にはとうてい及ばない、たいへんだなと思いました。
わたしがはじめて「沖」の句会に出ましたのは、「沖」が創刊されてから、半年くらいのときでした。上野の文化会館で東京句会がありました。とても広い会場でわたしは隅っこにおりました。登四郎先生と林先生が正面に座られて、登四郎先生は細身で、翔先生は小柄でまるいお顔をしておられる、それもいまにいたっては懐かしい景色であります。わたしは学生服を着ていったんですけど、ちょうど斜めにきりっとした学生服のひとがおりました。
句会がはじまりました。特選は話題になった句でした。「でで虫や父はギリシャの海ゆくころ」という句でした。それは、学生服の彼の作品でした。「父はギリシャの海ゆくころ」。あのエーゲ海のまぶしい光のなかを、高度経済成長のまっただ中にいる日本の商戦がすすんでいく、なんとまぶしい光景だろう。こういう句をつくる人のなかにわたしはいるんだ、そう思いました。
そのときのわたしの持ち句は、「山に鉈忘れきし夜の稲光」暗いですよね。このようなところからわたしはスタートをいたしました。特選の俳句をつくったのは、十時海彦(ととき・うみひこ)さん。名前もかっこいいですよね。「沖」はすごいところだなと思いました。その後、ぞくぞくと沖には中原道夫さん、正木ゆう子さんとか、すごい人ばかり入ってこられました。その中でわたしも勉強をいたしながら、ここまで育てていただきました。感謝しております。
これからは「沖」のためにがんばっていきたいと思います。(俳句の引用は、あるいは表記がただしくないかもしれませんが、お許しを)

 

森岡正作さんは、俳誌「出航」の主宰でもあり、「出航」は、今年創刊25周年むかえられる。
この会のはじめに映像が流れた。

かつての能村登四郎氏。

 

 

 

 

研三さん、お若い!
わたしはもうこの頃から存じあげていた。

 

 

 

 

なつかしい映像に見入ってしまった。
 鰯雲見てゐてこころ連れ去られ    能村研三
 白鳥の野禽のつばさ折りたたむ      〃
能村研三主宰をはじめ、「沖」の皆さま
創刊55周年、まことにおめでとうございます。
こころよりお祝いをもうしあげます。
登四郎主宰の時代よりご縁をいただき、
いまもなおおこころにかけていただいておりますことを感謝もうしあげます。
60周年に向けて、あたらしい俳句をめざして、さらなる躍進をお祈りもうしあげます。

 

(ふらんす堂「編集日記」2025/10/30より抜粋/Yamaoka Kimiko)

 

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