日下野由季新人賞お祝いの会2019.4.30
早稲田にあるリーガロイヤルホテルにて、午後1時より句集『馥郁』で本年度俳人協会新人賞を受賞した日下野由季さんをお祝いする会が催された。
わたしは、「田中裕明賞選考会」のためうかがうことができないので、スタッフの文己さんが出席。
その報告をしてもらった。
ご挨拶される日下野由季さん。
皆さま本日は大変お忙しい中このようにお集まり頂きまして、本当にありがとうございます。
自分がこのように賞を頂いた姿を両親に見せることができて本当によかったなと思います。やはり自分の努力が叶う頃には親がもういなくて、その姿を見てもらえないっていうことがあると思うんです。ですから見てもらえるうちに賞をとってその姿を見せたいと、そう思ったときに俳句の世界に導いてくれたのが両親だったので、俳句で認められた姿を見せたいなあと思って、俳人協会新人賞を獲れたらいいなあと思っていました。
『馥郁』という句集のことを少し話しますと、前半はあとがきにも書いたように、自分の人生をこれからどう生きていきたいかなぁと葛藤しているところがあって、それが集約されているのが前半に出てくる〈寒禽の思ひ切るときかがやけり〉という句で、自分はどんなことがあっても自分の決断を自分で責任をもって、自分で生きていこうと決めて、寒禽に自分を託した句だと思います。真ん中になると、自分でも意識していなかったんですが今回の句集は父のこと、母のことをよんだ句がちらほら出てくるんですね。それは第一句集にはそんなになかったことで、やはり自分が三十代という年齢になって自分の両親が体調を崩したり入院したことが自分の中で大きかったんだろうと思います。それで〈桜満開父がゐて母がゐて〉という句を詠んだんですね。「桜満開」なので明るさに満ちているような句なんですけれども、桜が咲いていて、今父がいて母がいるこの幸せは永遠じゃないんだなぁということに自分で気付かされてしまったということが実感として自分にありありと迫ってきたというか、そういう世代、歳だったように思います。この尊い一瞬を大切に今を生きていきたいなぁと思ってこの句を詠みました。後半は新しい自分の人生がスタートしていくんですけども、伴侶に出会い、それだけではなくて新しい命を自分が宿して、娘であった自分が母という立場になるということで〈星涼しいのち宿るをまだ告げず〉という句や〈身のうちに心音ふたつ冬木の芽〉という句を詠んで句集を締めくくっています。
主宰は125歳まで生きてくださるそうなので次の句集でもいいのかもしれないんですけれども(笑)でもやはりあと十年後ってなるとどうかなって思ったりして、やはりこの第二句集で賞をいただくことができて、このタイミングで両親にも喜んでもらえてよかったなぁと思います。
ちょうど4月に出産しましたので、その出産前後の句も入れようか悩んだんですけれども、『馥郁』には娘を宿したところまでしかいれませんでした。少し余韻を残して第二句集を閉じたので、第三句集ではおそらく娘が生まれたあたりから始まっていくんではないかなぁと思います。母になった前と後ではあまりにもいろんなことが違うのですが、今しかできないことに今向き合っていくといういうことも、これから俳句の人生を歩んでいくなかで意味のある、価値のあることなんじゃないかなと思っています。これからも今を大切に、次の句集につなげていけたらなと思っています。これからも皆さんどうぞ温かく見守っていただけたら嬉しいです。本日は本当にありがとうございました。
(ふらんす堂「編集日記」2019/4/30より抜粋/Yamaoka Kimiko)