句集『汽水』を刊行して
益岡茱萸インタビュー2016.1.15

 

句集『汽水』を刊行して 益岡茱萸インタビュー

 

白魚の汽水を恋うて囚はるる

立子忌やあのやはらかきナイフ欲し

阿と吽の間(あはひ)を抜けし春埃

灯台へ行く道は無し卯波見ゆ

海を見る形に生(あ)れし籐寝椅子

ブラウスの遺品花柄原爆忌

霧の中大人の位置を忘れけり

スカーフを結びほどいて秋さみし

黒板を見ずに見てゐる冬の山

肩掛けに守られてゐる弱気かな

(自選10句)

 

 

句集『汽水』を刊行された益岡茱萸さんは、福本ゆみという名前をもつ女性コピーライターであり、広告業界の草分け的存在となる人だ。これまでに多くの賞を受賞され、広告業界のトップランナーとして走り続けてこられた方である。その福本ゆみさんが、この度句集を刊行されたの機に、お仕事のこと、俳句のことなどを中心にお話をうかがってみました。

 

句集『汽水』を刊行して 益岡茱萸インタビュー

 

 

いまわたしの手に一冊の冊子がある。茶色の用紙にカラ押しで「誰かに聴いてもらいたくて」と記されている。

 

句集『汽水』を刊行して 益岡茱萸インタビュー

 

 

これは、俳人・益岡茱萸さんこと、コピーライターの福本ゆみさんが35周年を記念してつくられたものだ。質朴な風合いの茶色の表紙をめくると華やなピンクの扉があってそこにはこんなことばが記されている。

 

 

ラジオCMは、

幻のようなものだと、思う事があります。

 

特番のために作られ

たった一度だけ、宙に流れて

消えていった音。

 

記録されることはあっても

記憶される事は、とても少ないのです。

 

もう一度、

聴いていただきたい仕事を

いくつか

選んでみました。

 

お世話になった、たくさんの方に

感謝しながら。

 

福本ゆみ

 

句集『汽水』を刊行して 益岡茱萸インタビュー

 

 

 

コピーライターへの歩み

 

山岡(以下◯)素敵な一冊になりましたね。しかもCDつきですね。

益岡由美(以下*) ありがとうございます。CD一枚に入る分だけにしたので、全部で66分の作品集になりました。本の感じは無印良品のノートみたいなイメージだったのですが、それだけだとちょっと彩りがないように思えて、ピンクを2カ所入れてみました。

 

句集『汽水』を刊行して 益岡茱萸インタビュー

 

 

◯とてもこのピンクが効いてますね。この本作りは楽しかったでしょう?

*そうですね、句集『汽水』と同時にやりたかったのですが、なんだか句集のことで力尽きてしまって(笑)結局出来上がったのが年末のクリスマスになって、句集の添え物みたいになってしまいました。コピーライターとしては35年やっておりますので、量としてはものすごく沢山あって、それを選んで66分にまとめるのが難しかったです。

 

◯益岡さんは、コピーライトのお仕事はラジオを中心にされてきたのですね。ここに収録されているコピーライトもすべてラジオに流されたものなのですか。

*はい。わたしの仕事は、特番で流れる長いものが多かったので、ほとんど皆さん聴かれたことがないのではと思います。(笑)この本にも書いていますが、1回しか流れてないものが結構あるんですよね。

 

◯ここに収録されているものを全部拝聴しました。たしかにわたしたちが通常思う広告の言葉としては長いかもしれませんね。でもストーリー性があって思わず引き込まれてしまいました。一篇の詩を読むような感じです。そして最後に何を広告しているかが告げられて、おおこれはコマーシャルのための文章なのかって気付く、そういうものばかりでした。人生の陰翳があり、男女の機微、親子間の感情などを通して人間がみえてくる、それがとても興味ふかかったです。立派なひとつの作品ですね。しかも、ほとんどの作品が広告業界の大きないろんな賞を受賞されている。きっとこの一冊に収録されていない作品も沢山の賞を受賞されておられるのだと思います。それがたった1回しか流れないなんて、作者としては悲しいですね。もちろんわたしも始めて拝聴いたしました。

ここに収録されている作品をひとつ紹介させていただきます。

 

カール・ルイス 父の想い出

 

カール・ルイスは言う。

今の自分があるのは、父のおかげだ。

身体も小さく、人生のスロースターターだった息子に

父は教えた。いつもベストを尽せ。

やりたい事ではなく、正しいと信じる事をやるんだ。

 

父、ビル・ルイス。ロサンゼルスオリンピックで

カールがとった4つの金メダルを、誰よりも喜んでくれた。

しかし、ソウルの金メダルを見る事無く、天に召された。

 

葬儀の朝。 カールはビデオに残る父の笑顔を

繰り返し見た。そして、こみ上げる想いを、

一編の詩にして、心に刻んだ。

 

最初の記憶、これはあなたの顔。

そして成長するにつれて、夢を後押ししてくれた。

いつだって愛している。あなたはそう言った。

あなたの人生は短かったが、心の中に生き続ける。

あなたは今、故郷へ、故郷へ、帰ったのです。

 

息子を見れば、父が見えるという人がいる。

私たちは、ビル・ルイスを知らないが、

彼が作り上げた、世界一速い男を知っている。

 

その想い出は、心の中に。

その微笑み、ビデオの中に、いつまでも消えない。

パナソニックのビデオ、BSビデオ画王とブレンビー。

 

 

(1992年 フジサンケイ広告大賞メディアミックス優秀賞)

 

 

就職先がない現状

 

句集『汽水』を刊行して 益岡茱萸インタビュー

 

◯句集についてお話を伺う前に、まずコピーライターになられたいきさつを聞かせてください。

*最初は漠然と出版社に入りたいなと思っていたんです。それで大学時代に小さな出版社でアルバイトをしました。でも、いろんな作業をやらせて貰っているうちに、ああ、出版社っていうのは、自分が書くわけじゃないんだな、校正したり編集したりそういう業務が中心になるのであればちょっと自分が望んでいたものと違うなって思ったんです。なにか書く仕事がやりたいなと。それでどうしようかなって思っていたら、大学三年の終わりくらいのときに新聞に広告作家教室の広告が出ていて、「こういうのはやれるかもしれないな」と思って、大学四年のときに通ったんです。半年くらいだったでしょうか。

そして、ああ、なにかこういうことがやりたいなとは思ったのですが、就職先がなかったんですね。男女雇用機会均等法がはじまる前だったので、女性のクリエーターの募集がほとんどなかった。それでわたしたちの先輩なども、広告代理店などにお茶くみ的な仕事で潜り込んで、その後仕事の範囲を広げていく、といったゲリラ的な感じでしかやれなかったのです。わたしも正規の募集がないので、いろんなプロダクションに片っ端から電話をしたんです。すると1カ所だけ来てもいい、というところがあって、それは代理店の子会社で、テレビとラジオのCMをつくっているところだったんですけど、丁度ラジオ部門が独立していなくなっていたんです。そのおかげでというか、そこに「アルバイトなら来ていい」と言われ、そこに潜りこんだのです。大学四年のときに。

 

◯そのことをきっかけとして今日までラジオのCMを担当して来られたのですね。

*そうですね。時々テレビ、新聞や雑誌のコピーも書きます。

 

◯どうですか、コピーライターとして今日まで来られた感想は。

*35年もやって来られたのは、ともかく楽しかったからだと思います。それとわたしがこの業界に入ったころというのは、広告業界に熱気があって才能が集まってきていたというか、回りに優秀な方がたくさんいらして。テレビの連動としてラジオがあったりしたので、テレビの仕事をしている優秀な人たちと一緒にお仕事ができたんですね。そういうチームの中には代理店にいながら、多才な方が沢山いらっしゃいましたね。ご紹介いただいた、カール・ルイスのCMは、クリエイティブディレクターが、鏡明さんというSF作家・翻訳家でもある方なのですが、そういう人との出会いがなにより面白かったです。

 

◯林真理子さんも同期ですか?

*大学4年の時に「宣伝会議賞」という公募の広告賞を、林真理子さんと一緒にいただいたんです。それがきっかけで林さんと一緒に旅行に行ったりしました。はじめての海外旅行だったんですが、アフリカへ女性のコピーライター5人で行きました。そして、この賞をいただいたことで、アルバイトから正社員に昇格できました。

 

◯そうだったんですか。まさに女性がこれから華やかに仕事をするそんな入口に立ったわけですね。

*うーん、そうですねえ、でも華やかな感じは全然しなくて(笑)とにかく就職先がなくて小さなプロダクションに潜り込んだみたいな状態なので。お金もなく、アフリカにはローンを組んでいきました。(笑)華やかさとは縁がなかった。林真理子さんも当初はわたしたちと同じようにたいへんだったと思います。

 

句集『汽水』を刊行して 益岡茱萸インタビュー

 

俳句との出合い

 

◯まさに女性コピーライターの草分け的存在として広告業界で活躍されて来られた益岡さんだったと思いますが、それでは、句集のことにお話を移したいと思います。

今回刊行された句集『汽水』は、第一句集となるものですが、今年度の星野立子賞の最終候補となりました。最終候補の七句集のうち、第一句集は益岡さんの句集のみだったと思います。選者のお一人である後藤比奈夫先生は、「私は『汽水』も捨て難いと思っていた。処女句集である初々しさ、立子先生の好まれそうな感性や理智に心惹かれた。」と評価されています。

そもそも、なぜコピーライターである益岡さんが、俳句を作ろうと思われたのですか?

*それはですね、広告賞の授賞式みたいなのがあってそこのパーティが毎年あるわけですが、そこでよく知っているテレビのディレクターの方に、急に後ろから首をしめられて(笑)「俳句やらない?」って言われたんですよ。「な、なんですかあ」という状況で(笑)それまでどちらかというと短歌の方に興味があったんです。与謝野晶子とか密かに好きだったりして、短歌とか向いているじゃないかなって秘かに思ったりしてたんですね。俳句はそんなに興味がなかった。ただ、そのメンバーが、檀太郎さんであったり、前からよく知っている好きな人たちばっかりだったので、「ああ、じゃあ行く、行く」って、そこで行ったのがはじめての句会でした。12年前になります。

 

◯マドンナとして迎えられたって檀太郎さんが句集の栞に書いてますね。(笑)

*いえいえ、マドンナでも何でもないんです。会計係をやらされております。(笑)わたしがいないと会計が滞るんです。マドンナなんて嘘ですよ。(笑)「茱萸はイケメン好き」なんて檀さん、書いてますが、あれも嘘、もう嘘ばっかり。(笑)

 

 

句会の印象

 

◯はじめて句会に参加されたわけですが、句会の印象はいかがでした?

*句会のシステムというのがあんまり面白くて、すべて平等ですよね。もちろんそこに星野高士先生もおられたのですが、先生も同じように清記して同じように選をする。それに驚いたんですね。先生含めて平等で点をとれたりとれなかったりするというのが、ほかのジャンルではあり得ないことではないかな、とびっくりすると同時になんてフェアなんだろうと思いました。ゲームとしてもすごく面白いし、難しいとも思いつつ、一気に句会というものに惹かれました。

 

◯確かに世の中は一般的にそうではありませんものね。

*そうですね、階層があることの方が多いですよね。

 

◯俳句はすんなり出来ました?

*まぁ出来たというかなんとなく作ってみたりして、最初は俳句をつくる面白さはあんまりわからなかったんですけど、だんだんやっていくうちに、「NHK俳句」の3月号にも書かせていただいたのですが、星野立子さんの「雛飾りつつふと命惜しきかな」という句を知って、ああ、凄いなと、こういうことが俳句で詠めるんだと思ったんですね。俳句を遠巻きに眺めながら、俳句ってなんだろうとか、どうしたら俳句が詠めるんだろうといろいろと迷いながらやっていた時に、立子の句を見たときに(ああ、こんなことを詠んでいいのか)と、与謝野晶子に通じるような情感があって一気に俳句が好きになりました。

 

◯この立子の一句が俳句開眼の一句だったのですね。

*そういうことかもしれません。それから立子ファンになりました。「NHK俳句」でも「立子マニア」という題で書いております。

 

句集を編むことでこだわったこと。

 

◯今回刊行された句集『汽水』はご自身で選句をされたのですか。

*これまでの12年間の句会の一点句以上のものまず書き出して、その上で星野高士先生に見ていただきました。

 

◯『汽水』は句の並べ方とか編集にずいぶんこだわられたように思えるのですが、これは?

*自分でやりました。

 

◯編集するにあたり心がけたことはありますか。

*そうですねえ、すべて声に出して読んでみました。

 

◯声に出して読んでみた、ということですが、それはどうしてですか。

*確かな理由はないんですけど、読んでみて音の流がいいのかどうか。仕事において「音」というものにこだわっているので、やはり声に出してみるというこだわりがあったんだと思います。

 

◯コピーライタ―の御仕事をするときもやはり声に出して見られるのですか。

*実際に声に出すということは書く途中ではしませんが、頭の中で声にしています。誰がこれを読むのか、そのナレーターの声を思い浮かべて書く「あてがき」ということをしています。最終段階では秒数を測るので、必ず声に出しますね。

 

◯ラジオのお仕事されてきたことが、大きく句集の編集作業に影響をしているかもしれませんね。一冊の句集となってご感想はいかがですか。

*そうですね、句集を編むとき星野先生に選をまずして貰ったわけですが、句会で特選をいただいた句を先生はバシバシ落とされたんですね。一点句などを逆に残されたりしたんです。それで「先生、これはどういうことですか」ってお伺いしたりして、すると「句会の特選は関係ない」なんてことをおっしゃたりして、そうなのか、句会の時の特選とかってそんなにこだわることはなかったんだなって、あとになって一点も入らなかったようなものを入れても良かったのかなと思いましたが、まっどうせたいしたことはなかったとは思いますが。(笑)

 

それぞれの句会

 

◯俳句をはじめられた当初より句会の数もふえて、どんどん俳句にのめり込んでおられる益岡さんだと思いますが、お仲間の句会と結社の句会と、違いがありますか?

*最近「玉藻」の、鎌倉の寿福寺というお寺で行われているメインの句会に出るようになったのですが、やはり勉強になりますね。先輩の重鎮の方がいっぱいいらっしゃって、そういう皆さんがとてもお上手でしかも自分の全然知らない言葉をご存じだったり、(へえ-、こんな言葉があるんだって)そういうのは本を読んでいても勉強できないものですね。すごくためになります。そして「玉藻」の先輩方は、お優しくて親切な方ばかりで、「ここはこういうのを詠むといいのよ」とか、お弁当などいただく時も「こういう割箸を詠むといいのよ」(笑)とか教えてくださって、それで句集のなかでも「行く春や千年杉と長寿箸」っていう句が出来ました。(笑)

 

◯結社の中では若手になるんではないですか。

*そうですね、広告の世界ではもう長老となってしまいますが、結社の中ではまだ若手ということなり、それも面白いですね。

 

句集『汽水』を刊行して 益岡茱萸インタビュー

 

 

俳句と広告コピーの違い

 

◯『汽水』を刊行してみて、見えてきたことがなにかありますか?

*面白かったのは、いろいろな方に読んでいただいて、差し上げたり買っていただいたりしたんですけど、句の評価がいろいろだなあっていうことです。自分ではいまひとつかなと思っていた句をすごく良いって言ってくださったり、その逆もあったり、そうか俳句っていうのは、いろいろな捉え方があるんだなとたいへん新鮮でした。たとえば、讀賣新聞枝折で「おでん煮る空間にあるまろきもの」という句を、長谷川櫂先生の四季で「支へ合ひ今風花を見る二人」という句を取り上げていただいたのですが、313句の中からあの1句をとりあげていただいたことで、急にいい句のような気がしてきました。(笑)

そもそも駆け出しですから、句集を出して何か世の中から反応があるということ自体想像もしていなかったのですが、新聞で取り上げていただいたり、何人かの俳人の方がブログで取り上げてくださったり、感想を送って下さったり、それが本当にうれしく有り難かったです。

 

◯コピーと俳句の違いと共通するところがあったら教えてください。

*そうですね、一番違うなあって思うのは、写生句でしょうか。たとえば星野立子の句で言うと「まま事の飯もおさいも土筆かな」というのがありますが、あれは広告のコピーになり得ると思うんです。何か共感性があって、わかりますよね、情景も。ああいう句は広告に近いなって思うんですけど、たとえば、立子の辞世の句「春寒し赤鉛筆は六角形」。こういうのは広告コピーにはならないと思うんです。つまりすごくいい句なんだけど、よさを説明しろと言われてもそうたやすくは説明できない、クライアントに説明できないというか(笑)、そういう違いがあると思うんです。重なる部分もありますが、客観写生のような風景を詠んでなにかを語る、そういうものは広告コピーではあまり考えられないような気がします。広告コピーは伝えることがはっきりしていなくてはいけない、多様な解釈があまりできない方が良いわけです。ひとつの解釈に持って行くほうがいい。俳句の場合はいろんな解釈があってもいいですよね。

 

◯立子の「いつも間にがらりと涼しチョコレート」ってありますが、いいですよね。

*ええ、あれも説明がしにくい句ですよね。いい句ですが。

わたし自身は、写生句が苦手という意識がすごくあって、やはりコピーと一番遠いところにあるからでしょうか、だからあえて最近は吟行によく行くようにしています。写生を勉強したいですね。

 

◯これからどういう句をつくっていきたいですか。写生句をめざすということですか。

*いやあ、写生句をつくりたいと言うわけでもないんです。そこがちょっと苦手だなと思い強化したいという思いはありますが、まあ、でも書けるものしか書けないなというのが最近の思いです。自分が書いて気持ちいい句を書きたい、ということでしょうか。

 

◯今回の句集でいうとたとえば。

*そうですね。自選10句は好きかもしれません。

 

◯好きな俳人は?

*やはり星野立子ですね。高士先生をさしおいて申し訳ないのですが(笑)

たくさん好きな句はあるんですが、やはりあの雛の一句です。

 

◯立子は雛の日に亡くなっているですよね。

*そうなんです、今年の立子忌は33回忌にあたるそうです。

 

これからのことなど。

 

◯お仕事柄、いろんな音楽を聴いたり映画を観たり、本を読まれると思いますが、それぞれ好きなものを教えてください。

*好きな音楽はいろいろありますが、ローリング・ストーンズ、それにボブ・ディランは特別なんです。なんでストーンズが好きかというと、子どもの頃割と優等生みたいにして来たんですが、中学生の時にストーンズの音楽を聴いて優等生ではないものに惹かれたというか、なんかこのままじゃだめだ、面白いことしなきゃって(笑)。

 

◯そう思ったのが中学生っていうことは、結構早熟ですね。

*ああ、早熟だったかもしれないですね、小さい頃は。(笑)難しい本を読むのが好きだったりして。いまだにストーンズ好きの親友が郷里の博多にいて、ストーンズが来日するたびに彼女が九州から出てきて一緒にライブに行ってます。(笑)

 

◯そうなんだあ、いいなあ。ミック・ジャガー素敵ですよね。

*あとはボブ・ディラン、詩がすばらしいですよね。4月に来日するのでもうチケットを二日分とってあります。

 

◯必ず行くわけですか?

*必ず行きます。前回の来日では4日行きました。今回の句集にも「ディラン観て口ずさむ路残花かな」って言う句がありますが、まさにディランをみた帰りですね。

 

◯最近みたものでおすすめはありますか?映画でも音楽でも本でも。

*映画はいろいろと見ます。ケン・ローチは大好きですが・・そう最近「スターウォーズ」を見ました。今回の作品集には入れていないのですが、ずいぶん前にパナソニックがジョージ・ルーカスのキャンペーンをやったんですね。その時に、180秒のラジオCMをつくりまして、「making of sound effect」っていう、スターウォーズの効果音の種明かしをするというCMなのですが、それでACCグランプリという大きな賞をいただいたんです。ライトセーバーの音がありますね、あれの種明かしもあって、ルーカスフィルムからその素材を送ってもらって、それを構成して作りました。

 

◯スターウォーズマニアにはたまらないですね。

*ええ、それで今度の映画の「スターウォーズ」はそのライトセーバーの音が変わったという話があって、それを確かめに行ったのですが、たしかに音が重くなっているというか、堅くなっていたというか、そういう気がしました。映画が終わってエンドロールをみて、sound effectのところを見たら、効果音を送ってくださった方のお名前が出ていて、変わらずにやってらっしゃるのだなと、うれしかったですね。

 

◯ご主人は俳優の益岡徹さんと伺ってますが、益岡徹さんは俳句はなさらないのですか?

*全然やらないです。句会に誘ってみたりもしたのですが。わたしが俳句をやっていることについては、理解を示してくれますが、最近はわたしが月に4回も5回も句会に行くので淋しいのではないでしょうか。グッと耐えているのかもしれません。(笑)だから句集のあとがきにも「いつもニコニコと句会に送りだしてくれる家族にも感謝したい」と書きました。今後もよろしくという意味をこめて。(笑)

 

◯ご主人は、今度の句集について感想は述べられましたか?

*すごくいいと言ってくれました。

 

◯日々の生活のなかで大事にされていること、あるいは言葉とかありますか。

*うーん、なるべくいやなことはしない(笑)っていうことでしょうか。家(うち)は夫婦ふたりとも気ままなフリーランスなので、「疲れたなあ」とおもったらすぐに寝るとか、もう無理をしない、そしていやなことはやらない、わがままなんですけど、なるべく自分の心が遊ぶようなことを大切にしていきたいです。

 

◯そうですね、いいですね。月に句会が5回ですか。どんどん俳句にのめり込んでいかれてますね。

*俳句に誘ってもらって本当に良かったと思っています。

 

 

 

終始、笑顔で明確にお話してくださった益岡茱萸さんだった。

ながながとお付き合いくださいましてありがとうございました。

 

 

 


 

句集『汽水』を刊行して 益岡茱萸インタビュー

益岡茱萸(ますおか・ぐみ)

1957年8月11日生まれ。フリーランスのコピーライター・ディレクター・プロデューサーとして、主にラジオCM・TVCMの企画演出を手がける。

2003年より、「玉藻」主宰・星野高士氏を師とする句会「風の会」に参加。

2011年より、日本橋倶楽部「日本橋句会」に参加。「玉藻」同人。

 

 

 

(2016年1月15日 於ふらんす堂 聞き手・yamaoka kimiko 写真・yokoo ayaki)

 

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