「港」創刊30周年
お祝いの会2018.7.5

 

今日は12時半より高輪プリンスホテルにて、俳誌「港」(大牧広主宰)の30周年のお祝いの会があり、yamaokaが伺う。
大牧広主宰には、いまふらんす堂の連載「俳句日記」をお願いしているが、一所懸命に取り組んでいただいている。
今日もお目にかかるやいなや、「yamaokaさん、嬉しいことにいろんな方から俳句日記みてますよって言われます」と笑顔でおっしゃって下さった。わたしもとても嬉しい。

 

「港」30周年のお祝いの会は114名の来賓を招き、会員の方々も100名以上というたいへん賑やかなお祝いの会となった。

 

 

ご挨拶をされる大牧広主宰。

 

 

01

 

先日亡くなられた金子兜太先生のことを思います。私も俳人として少しでも兜太先生の精神を継いで行きたい、これにつきるものはないと思っております。
今日はご来賓の先生方が遠くは宮城県、あるいは長野県などの地方からお越し頂いておりますが、志を同じくした兜太先生の衣鉢を継いでの会ですのでどうぞよろしくお願い致します。

 

今日のご挨拶はすこし短かったので、「港」創刊30周年を記念した四月号に掲載してある大牧広主宰のことばを紹介しておきたい。

 

「港」は本年4月、創刊30周年を迎えました。全員で祝福致したいと思っております。平成元年4月創刊、そして本年は30年というきっぱりとした歳月。そして「平成」という元号も本年で終りとなります。
30周年、ふりかえるとさまざまな思いが去来して上手に表現できませんが、胸に深く沁みるものがあります。「会者定離」の言葉の通り、さまざまなすぐれた人と会えましたが、またすぐれた人が神に召されたり離れていきました。
それでも「港」は、俳壇という海に居て一定の存在を認められたと思っています。その証しとして、この度の記念号には、我々に勇気を与えてくださる先生方のご寄稿をもって記念号を飾ることができました。改めて深く先生方にお礼を申しあげます。
もう三十年、まだ三十年、人によって受けとめはちがうと思いますが、過去は過去として、我々は「俳壇」という海を進んでゆくことに変わりはありません。
改めて編集部、事業部、基金部等の方々に厚く深くお礼を申します。
以上をもちまして、30周年の言葉といたします。

 

 

 

02

 

 

俳誌「港」四月号 創刊30周年を記念する号となり200頁におよぶ。

 

 

来賓を代表して有馬朗人氏と宮坂静生氏のご挨拶があったのだが、宮坂静生氏のご挨拶のは、大牧広という俳人の姿勢をよくとらえておられたので、一部のみであるが抜粋して紹介したい。

 

 

 反骨は死後に褒められ春北風 (はるならい)   大牧 広

 

 

大牧広の系譜は、楸邨→登四郎→広、であると思う。その師の系譜を貫くものは、「師から如何にはみ出すか」ということだと思う。大牧広という俳人をひと言でいうなら反骨の人ではないだろうか。

 

大牧広主宰、そして「港」の皆さま。
30周年、おめでとうございます。
こころよりお祝いを申しあげます。

 

 

 

 

 

 

(ふらんす堂「編集日記」2018/4/20より抜粋/Yamaoka Kimiko)

 

 

 

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