「幡」創刊350号お祝いの会2019.5.13
なによりもまずお忙しいなかご都合をつけてくださったお客さま、そして大切な「幡」の会員の皆さま、参加できずお詫び申し上げます。以下大事なことをもうしあげます。1俳人は作れなくてはなりません。実作が一番。2俳句は人にみせてこそなりたつものであること、人の目を通さなくてはならないということ。独白の歌であってはならないということ。3俳句は詩であること。詩とはポエムのことです。ここは一番肝心でもうしあげたいことは山ほどありますが、略させていただきます。作者の感動が巧みに作品にこめられなければならないとだけ申しておきます。4結果として「言わずに言う」というような忍術が使えなくてはならないということ。以上が俳句について大切なことです。自分の俳句の高まりが人の俳句の深まりになりますように。
本日も父はデイサービスサンタ-に通っております。週に二回で、本日も通っております。父はいたって元気なのですが、皆さんの前で立ってお話するということは思うようにならない点がありますのでご勘弁ねがいたいということです。本日はぼくの父が参上できませず、本当に申し訳ございませんでした。せっかくお見えいただきましたのにお会いできず残念で申し訳ございませんと本人が申しておりました。
富吉 浩主宰のご挨拶を抜粋して紹介したい。
ご挨拶をされる富吉浩主宰。
「幡」という結社は平成2年に辻田克己先生が始められたわけですが、辻田先生は昭和32年に「天狼」「氷海」山口誓子、秋元不死男という二人の先生について同時に入会をされています。以来、「天狼」そのものでもなく、「氷海」そのものでもない辻田克己の俳句を目指してずっと歩んで来られたと思います。今ももちろん句を作られ選をされ文章も書かれております。「幡」は辻田克己の結社であると言い切ってもいいかと思います。でまあ、わたしにあとをやってということで今年の1月1日を以て私が主宰をお引き受けしたということになります。辻田先生は選というものにすごく重きをおいておられると思います。主宰が選以外のことに関わるのは間違いだとおっしゃることもある、それくらいの気持ちで選に打ち込んでおられた。そこをわたしがあとをお引き受けしてできるのかということになるわけですが、選については、辻田先生は「悪い句はとらん、壁になる。そこを超えて来いという考え方だと思うのですね。ほかに印象深く選について教えていただいものでは、草間時彦さんのもので、「良い句はとる、良い句は落とさない」、同じことかもしれませんが、草間時彦さんは結を社もっておられませんでしたら、大会とかの時のことだと思いますが、「作者はとらなかったら捨ててしまう。もし自分がそれを選ぶことができない場合、作者は永久にその句を捨ててしまう。そうあってほしくない。いうことだと思うのです。もし自分が万一本当はそれほどいい句ではなかったのに自分がその時いいと思ってとってしまったという場合もある得る。でもそれはやがて世間が落としてくれる、ということではないか。そのようなことを書いておられたのを見たことがあります。もう一つは飯田龍太。選については絶対的な自信を持っておられたようですけど「選を受けるということはすべて参考です」ということを繰り返しておられた。と。選をするにあたってこの三つのことを忘れないように自分を戒めていきたいなと思っております。選をしているときにいつも思うのですが、ものすごく勉強になる、勉強というか 修行というか、そうするとつまるところ自分が一番得しているということですね、と思うことがあります。ですからいい選をしたい、いい選をできるようになりたいと思いながら勉強したり修行したり、自分が得した分をなにかお返ししたいとおもっております。作る者としては「昨日の我に今日は勝つべし」という気持ちでいきたいと思います。