第76回芸術選奨・大塚凱句集『或』2026.3.17

 

2026年3月17日にシェラトン都ホテル東京にて、令和7年度第76回芸術選奨の授賞式がありました。

文学部門新人賞に大塚凱句集『或』が選ばれました。
おめでとうございます!
句集を担当したPが授賞式の様子をレポートいたします。
新人賞で13部門もあるなかで、新人賞を代表して大塚さんが授賞式でスピーチをされました。
記念して全文を掲載いたします。

 

ご挨拶をされる大塚凱さん。

 

 

この度、文学部門で新人賞を賜りました大塚凱と申します。
このような栄えある賞を賜りましたこと、関係者の皆様、選考と推薦をいただいた皆様、日頃より支えて頂いている皆様に心より御礼を申し上げます。
清水ミチコさんの面白いスピーチの後に話すのはなかなか恐ろしく、甚だ僭越ながら新人賞受賞者を代表し、ご挨拶を申し上げます。
 
文化というものを考えた「できごと」がございます。
私事ではございますが、年末年始にアルゼンチンを発ちまして、南極を訪れました。
日本国籍の方は私を含めて数人しかいない状況で、様々な国籍の方と10日間ほどの船の中で生活を共にすることになっていましたが、そんな中1月3日にアメリカによるベネズエラへの攻撃が発生しました。
私の船には多くのアメリカ国籍の方とベネズエラ国籍の一家が乗っていました。
このご挨拶の短い時間では小さい船内で何があったのかお話しするのは叶いませんが、隔絶された南極船の中で辛うじて言葉を交わしあったことを、海と氷と岩だけの世界で人間の存在がむき出しになって、一方でそれをつなぎ止めようする振る舞いが立ち現れていたことを思い出しました。
それが、我々の文化というものの根底にある精神の活動だったのではないかと、今振り返って思います。
私は、俳句を含むこの短い詩の形式、短詩形を愛しています。俳句とともに短歌や連句や川柳、そのような他のジャンルもやります。あるいは自由詩という隣人がおり、文学のみならず、本日お集まりの皆様のような様々な芸術分野の方の影響を受けながら、表現を続けてきました。
しかし、実のところ我々のこの世界は吹けば飛んでしまうような南極船のように、とても脆くて、危うい空間のように思えて仕方がありません。
せめて今日この場でたまたま同じ船に乗り合わせたご縁でお互いの表現を祝福しあうことが叶いましたら、これにまさる幸せはございません。
本日、同時に受賞された皆様、まことにおめでとうございます。
ご清聴ありがとうございました。

 

受賞者のみなさま。

 

平日の火曜日という社会人にはハードな日程にも関わらず、祝賀会後の二次会には大塚凱さんを祝福しようとたくさんの方が駆けつけて来られました。
文学部門の選考委員から、小澤實先生が授賞式・祝賀会、そして二次会もご参加くださいました。ありがとうございます。
小澤實先生が二次会でお言葉をくださいました。
こんばんは、小澤實です。
大塚凱さん、芸術選奨新人賞おめでとうございます。
素晴らしい結果を出してくれて、よかった。
今日の授賞式でたくさん受賞者がいた中で代表して挨拶をされたということも、素晴らしかったです。誇らしかった。
去年出た句集の中で一番先鋭的な句集だったと思います。
それは現代と切り結んでいるということですよね。
ヒリヒリと現代と切り結んでいるといことがありました。
それでいて、句の姿形がいい。
句柄が大きい。
俳句が奇跡の詩であることをひさしぶりで思い出させてくれました。
冊子の「贈賞理由」を書いたのは僕ですが、読ませていただきます。
「大塚凱句集『或』は現代に生きる若者の実感を確かに捉えている。
 着ぶくれて似てゐる午後をくりかへす
厚着をして感覚が鈍っているせいもあって、驚きに満ちた新鮮な午後は永遠に来ないかのように感じられている。静謐ではあるが、切実でヒリヒリする今が書き留められている。
  ビール呷るザハ案でない方の未来来
批判的視線もしたたか。連作を連ねた編集の句集ではあったが、一句一句それぞれの独立性は高い。」
という風に書きました。
さきほどの祝賀会の会場で、「ビール呷る」の句は俵万智さんも絶賛されてました。
それを聞きながらうれしかった。
他の選考委員の方々も褒めていて、三橋光太郎さんの装幀もふくめて素晴らしくて新しい世界が広がっているとのことでした。
本当に素晴らしいご受賞おめでとうございました。
 
また、ずっと一緒に俳句をやってこられた戦友のような友人の「オルガン」宮﨑莉々香さんも大塚さんに祝辞を用意してくださっていて、披露していただきました。
信頼関係のあるご友人ならではの愛のある祝辞も一部ご披露します。
大塚凱が石田波郷を受賞したとき、大塚凱の句は心底つまらないと思った。うまいけど面白くはなかった。
「誰にでも書けるような俳句を書いて本当につまらない」と私はよく言った。
大塚凱という人間は器用な人間だ。飲み会ではサラダを適当に取り分けることができた。俳句もそつなく書く。社会的地位も手に入れていく。なんでもできてしまう人間の、俳句を書くことにおける切実さとはなんだろう。
大塚凱が無季俳句を「群青」の句会で出したことがあった。その時のゲストは鳥居真理子さん。句会が終わったあと、飲み会には凱は出ず、不忍池で会った。「鳥井さんだけが無季俳句についてきちんと評をしてくれた」と泣きながら言っていた。
(憶えていない:大塚談)
「あの凱が」と、その時思った
器用な凱があえて選んだこと、そのひとつが無季俳句を書くことだった。凱にしか書けない句はなんでもできてしまう凱が敢えて選んでいった部分だ。
今の私は凱が選ぶことになった文体を面白いと思う。
だけど同時にペーソス的世界観、凱の俳句の抒情を面白いと思えるときと、圧倒的に分かりたくないと思うときがある。
抒情は安全な立ち位置から書くことができる。だけど私は「おい凱、冷ややかすぎる、諦めんなよ」と言いたくなる。
だけど、そういう風な自分の大切にするやり方や守り方だってあっていいとも思います。
だって私たちは大人になってしまったのだから。
  泳ぐ手をひかりがばらばらに包む
あなたがあなたでいることの安全性を揺るがされる、揺さぶられる時に選択する、される何か。
あえて選ばされる、選ぶことになった凱の何かを私はこれからも見たい。

 

 

 

二次会集合写真。
大塚凱さま、
この度のご受賞まことにおめでとうございます。
心よりお祝いをもうしあげます。

 

(ふらんす堂「編集日記」2026/3/18より抜粋/Yamaoka Kimiko)

 

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