現代俳句大賞・兜太現代俳句新人賞2026.3.23

 

3月21日に行われた上野・東天紅にて行われた、現代俳句協会主催の現代俳句大賞兜太現代俳句新人賞について、紹介をしておきたい。
それそれ受賞者の方のご挨拶を一緒に行ったスタッフのPさんがまとめてくれた。
以下に紹介します。
坪内さんのご挨拶は全文を掲載します。
第26回現代俳句賞は、坪内稔典さん。

 

 

 

ご挨拶をされる坪内稔典さん。

 

 

 

高野ムツオさんから受賞の打診のお電話をいただいた時に一瞬ためらいました。

若い日に現代俳句協会の会員だったのですが、さっさと辞めてしまって、俳壇とか俳句の世界とは別の所に自分を置いて活動してきましたので、そういうためらいがありました。

ですが、僕がずっと考えてきたことを、初めて評価していただいたということも感じてとても嬉しかったのです。いろんな賞をもらいましたが、だいたい俳句の外からの賞で、俳句のひとたちが表彰してくださったというのは、とっても嬉しいことでした。

僕は4時に起きて、コーヒーを一杯飲んでパソコンのスイッチを入れます。今朝はオノマトペについての文章を書いて、その後「窓と窓」という僕のブログに載せる準備をしました。ブログを更新して、他の原稿を書いたりしながら、大体7時くらいに朝ご飯を食べます。

今日は時間がなかったので、昨日買っておいたあんパンを食べてきました。東京に行く準備をしながらテレビをつけると、NHKの朝ドラの「ばけばけ」がやっていました。

小泉八雲というひとはちょうど正岡子規と同じ時代を生きた人です。子規は明治35年に、八雲は明治37年に亡くなるんですね。ほとんど同時代のひとなんです。

正岡子規たちの俳句の運動というのは、小泉八雲を通して見るととても良く見えてきます。たとえば八雲が英語の作文の課題を出すんです。すると学生達は素敵な文章を書くのですが、八雲にとっては不満があるんです。みんな中国の文学の話や和歌の話を踏まえて、月がテーマなら月について見事な結論を出します。学生達は伝統をちゃんと踏まえてはいるけれど、書くことがだいたい同じで、その先に行かない。それが不満だったそうです。

それは子規が同じ時代に写生という言葉でやったことと同じことだと思います。「私たちの物の見方というのが固定されているのをやめよう」というのが子規の「写生」という概念に籠めた一番の意味だったと思うんです。

八雲の場合は亡くなる年に『怪談』という本を出すわけです。「怪談」というのは当時の価値観からして「婦女子の読むもの」という位置付けでした。ところが八雲の仕事を通して「怪談」というものが大事だということが意味づけられたんです。俳句も発生した当時は酒の席の戯れごとだったのが、そういうものが面白いと蘇っていくわけです。だから、一見してだめなものというのがとっても大事なんだと僕は思うんです。

だから「俳句が持っているダメな要素」というのを自覚して見つけなければいけないのかなと思うんです。カタコトとか、誰もが簡単につくれる簡単さだとかなのかもしれないですが、それは文学としてはあまり高く評価されてない。この百年間の文学の主流は小説でしょ。でも考えてみたら江戸時代では小説というのは戯作であって、ちゃんとしたひとが読むべきものではなかった。戯作者というのは「つまらないものの書き手」という意味です。

だから俳句もそういう面がもっとも大事なのかも知れないなと思うんです。

八雲が怪談を発見して広めたような、そういうものを僕らが発見して広めないといけないんじゃないかなと思うんです。

僕はもうすぐ82歳になりますが、老人の楽しみとしてこういうことを考えたりしています。いま「晩節の言葉を磨く会」というキャッチフレーズで「窓の会」という小さな老人たちの集まりを持っています。

基本はインターネットで活動します。ブログに作品を載せたり評論や意見を載せたりする。年に2回雑誌を出していますが、中心はインターネットになります。

要するに、老人たちがインターネットで五七五を作るというのは今までなかったと思います。新しいことだからやるべきや、と思ったんです。

子規の時代は時代そのものが若いから若いひとたちでしたけれど、虚子の時代も虚子だけがおじいちゃんでした。7080代のひとが俳句をつくって、集団をなしていくというのはなかった。今は、平均年齢が80代くらいになっていると思います。そういう時代は未だかつてなかったんです。でも僕はそこが面白いんじゃないかなと思います。

今は時代が老人の時代になって、老人が新しい文化を創っていくのがもしや可能だったら面白いかもしれない。

人口が減っていって、俳句人口も間もなく13くらいに減るんですけど、日本の人口が3000万くらいに減るのは、江戸時代や子規の時代と同じ人数比率になります。だから別にそれはたいしたことではないのかもしれない。3000万人の間の中で言葉を磨くっていうのをやればいい。

減っていくものをどう増やすかということよりも、減ることを先取りすることの方が面白いことかもしれない、とそういうようなことを朝4時に起きてパソコンをいじったりしながら思っているんです。

7080代のひとが活躍する文芸の世界というのはいままでなかったんですから、素敵なことだと思います。この賞をいただいたことを契機にして、僕はいよいよ老人になろうと、老人の俳人になろうと思っているのです。素敵な賞をもらって調子にのって勝手なことをいいましたが、ありがとうございました。

 

 

第43回兜太新人賞受賞は、内野義悠さん、髙田祥聖さんのおふたり。

 

 

ご挨拶される内野義悠さん。

 

 

 

本日はこのような場に立たせていただきまして、大変光栄でございます。私は生家がお寺で、職業は僧侶です。今日は春のお彼岸ですので、午前中に法事を行ってからここに立たせていただいております。

この度は兜太現代俳句新人賞という名誉ある賞をいただきまして、感謝申し上げます。

ここまで来るには個人的にも紆余曲折ありまして、昨年結社を退会したり、俳句的にも迷うところも多々あった中で、ここまで来ました。これからは現代俳句協会の一番好きな理念である「俳諧自由」という言葉をもとに、この受賞を以て私は自由になれたと思っております。「俳諧自由」をどこまでつきつめて、自分の詠みたいもの、詠めるものを深く考えられるかそれを自分に問うて進んでいきたいと思います。

最後に悩み、苦しみながら進んできた中で、支えになってくれたのは句友でした。今日一緒に受賞させていただいた髙田祥聖さんは俳句同人誌「リブラ」で一緒に活動しているメンバーです。そして遠方のためこの場にはいらっしゃいませんが、今回佳作を受賞されました後藤麻衣子さんはネットプリント「メグルク」というので私と一緒に活動をしているひとです。今回最終選考にこの3人で残れたことが、受賞よりも個人的には一番嬉しいことでございました。句友にこの場をお借りして感謝を述べたいと思います。ありがとうございます。

  淡雪や繋ぐ手に海抜がある   内野義悠

 

 

 

ご挨拶される髙田祥聖さん。

 

 

 

この度は第43回兜太現代俳句新人賞をいただき、誠にありがとうございます。「いただいた」と言うよりも「預けていただいた」というほうが、私にはしっくりきています。

応募者・選考の先生方、運営の皆様、そして来年にはまた新しい受賞者が生まれて、誰一人欠けても成立することがない大きな舟に私も加えてくださったこと、誠に御礼申し上げます。

私はいま俳句集団「いつき組」、「楽園」俳句会、俳句雑誌「noi」の他に、俳句同人リブラ、「AKANTHA」というふたつの同人誌に所属しております。

夏井いつき組長、堀田季何先生、神野紗希代表・野口る理代表、皆様のご指導、それからともに研鑽を積んでくれる句友があったからこその今回の受賞だったと思っております。

昨日句会があって、無点をギリギリ回避した1点だったのですが、そんな時に句友に「髙田祥聖が髙田祥聖を見失ってんなよ」と言われました。「ああ、そうだよな」といろんなことが急にあったから、自分が自分であること、楽しくなければ俳句じゃないということを忘れていたなと思いました。

創作は孤独なもの、孤独であるべきものと言って良いと思います。自然対わたし、世界対わたし、わたし対わたし、何かと相対するときはいつだってひとりです、

創作するときはひとりだったとしても、創作をつづけることができたのでは、ひとりではなしえなかったからだと思います。様々なひととのご縁があって私はいまここにいます。

この度の受賞でたくさんの方と知り合うことができました。新しい出会いに感謝し、髙田祥聖と知り合えて良かったと言っていただけるように日々精進していきたいと思います。ここにいらっしゃる皆様、今まで私と俳縁を結んでくださった全ての人に、みんなありがとう、大好きです。本日はありがとうございました。

 髪洗ふみづはいつ眠るのだらう   髙田祥聖

 

 

 

 

坪内さんを囲んで、左・高野ムツオ会長、右・対馬康子副会長

 

 

 

 

内野さん、髙田さんを囲んで、左・高野ムツオ会長、右・董振華さん

 

 

 

 

ご受賞された

坪内稔典さま

内野義悠さま

髙田祥聖さま

おめでとうございました。

あらためて心よりお祝いをもうしあげます。

 

(ふらんす堂「編集日記」2026/3/23より抜粋/Yamaoka Kimiko)

 

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