第10回田中裕明賞お礼の会(懇親会)2019.7.23

 

昨夕の「懇親会」をすこし紹介したい。

 

みなさん、それぞれいいご挨拶をされたのであるがとても紹介しきれないのでさっと駆け足となってしまいますが、ご容赦を。

 

 

 

主催者側のご挨拶がおわったあとは、四ッ谷龍さんに選考経過報告をしていただく。

 

 

 

01

 

 

6点を獲得した3句集はどれもみどころのある句集であったが、弱点もなかり気になりました。あえて受賞句集をだして若い人の励みとなるようにすべきか、それとも田中裕明賞が守ってきた評価水準を維持すべきか、悩ましいところでした。しかし過去に2位3位に終わった句集の中にも受賞に値する好句集があったことを思うと安易に水準をさげることができない、というのが選考委員の最終的な判断となりました。で、受賞作ナシという結論で一致しました。

 

 

 

乾杯は前年度田中裕明受賞者の小野あらたさん。

 

 

02

 

 

「武蔵野の高き木つづく蝉時雨」という今日の句会の津川絵理子さんの高点句についての選んだ方たちの評にふれながら、

 

 

沼尾さんが選評でその句の格調の高さにふれ、高柳先生が「つづく」の効果について語り、わたしがそれを受けて「武蔵野の広さ」に転じ、そして岸本先生が「蝉時雨」の季語の働きにぴたっと押さえていただく、という選評の連携がうまくいったな、と感じました。「俳句甲子園」などでもこういう形で「批評の連携」をやるのですが、今日はそれがうまくいったなとおもいました。こんな風に俳句って人とのつながりではぐくんでいくことも多いんじゃないかって思いました。

 

現選考委員のからまず、小川軽舟さん。
小川さんはこのあと神戸にお帰りになられた。

 

 

 

03

 

 

十年間はあっという間に過ぎたわけでは決してなく、十年間はわたしにとって長かったです。神戸まで帰らなくてはならないということもあり、会の途中で抜けることもあってそれが残念だった。「田中裕明賞」は、十年で存在感をましたとおもっています。十年経って、錚々たる顔ぶれの応募者、受賞者を得て「田中裕明賞」は、田中裕明さんの名を冠するに値する堂々たる賞になったのではないかと思います。

 

 

 

岸本尚毅さん。

 

 

04

 

 

(賞を)とれなかった句集がすごい、ということがひとつ言えると思います。そしてこんなので受賞したのっていうのがなかった、受賞作は立派でした。これは誇れます。俳句というものは鑑賞だけだとこんな楽しいことはないんですけど、鑑賞のあとに評価をするというのは、精神衛生上よくないです。評価について集まってディスカッションすることは、大切で、他の人の鑑賞や解釈で自分の鑑賞を修正することがしょっちゅうありました。

 

 

 

津川絵理子さん

 

 

05

 

 

田中裕明賞の会は、吟行会がありこれが楽しみでわたしはやってきているような気がしています。三人の選考委員の方々に学ばせてもらったのは貴重な経験だったと思います。賞は生きものだということを改めてこの三年間で実感しました。田中裕明賞はどういう賞かと思った時、「新しい俳句を見つけようという意志」のある賞なのだということを学ばせて貰った三年間でした。

 

 

四ッ谷龍さん
応募者の方への丁寧な感想を述べられてから、次期選考委員の方たちへ向けていろいろお話をされたのだった。

 

 

06

 

 

田中裕明賞の選考委員は大変な仕事です。たくさんの句集を読まなければならない、選考は何時間もかかるし、話したことはすべて活字になってしまいます。吟行会には毎年出なくてはいけませんし、で選考結果についてはいろんなプレッシャーが外部からかかる。わたしも選考会の前日は尋常な状態ではなく、夢のなかで何回も何回も選考をしているような感じで、それに耐えながら選考の仕事をしてきました。選考委員の仕事は大変ですが、よろしくお願いしたいと思います。
また選考委員として胸をはって言いたいのは、受賞者のなかにこの人がなぜ受賞をというような人が一人もいないということです。またすべての応募者に感謝したい。

 

 

 

田中裕明夫人である森賀まりさん。

 

 

07

 

 

わたしは「田中裕明賞」が、無季の句をふくむ句集や文章をふくむ句集を排除せずに受賞作としてきたことに大いに賛同しています。わたしにとっての田中の句のおおいなる魅力は言葉からくる混沌と田中本来の向日性から来る明るさだと思っています。(略)田中裕明賞は、田中と同じようにこの十年混沌と明るさが大きな塊をつくり挙げてきたように感じています。しかし、受賞者と作品だけがそこにあるのではなく、この賞の創設の目標として「公正であること」「続けていくこと」「記録すること」がありましたが、一回から十回までの記録の蓄積が「田中裕明賞」をただ受賞して終わりというものではなく、俳句というものに対して機能する賞に育てたと思います。田中裕明賞も一冊の本のように思えてきました。選者の方々は共同して「田中裕明賞」という分厚い本をつづってこられた、その本は姿容はないのですが、わたしのとっては「底無き底の永遠なるもの」を指し示すものであります。

 

(「底無き底の永遠なるもの」とは大峯あきらさんの言葉で、田中裕明さんの句帳に書きとめられていたものであるということ。)

 

 

 

 

応募者の方より
まず池田瑠那さん。

 

 

08

 

 

冊子をドキドキしながら読みました。あたたかい評も厳しい評もこれからの糧にしたと思います。ただ、わたし個人の資質だと思うのですが、「色気がない」とか「退廃的なところがない」とかいうお言葉があったので、それはどういうことだろうと考えてみたんですが、やはり自分の辞書には「退廃」と「色気」はなく、それは創作に向いていないかと一緒懸命考えたのですが、たとえば星野立子とか、あんまり色気とかデカダンとなない気がして、わたしはわたしなりにやって行きますと思いながらこちらに今日まいりました。今日は「凌霄や真中朽ちたる木のベンチ」を四ッ谷先生に特選にとっていただき頑張ろうって思いました。

 

 

伊藤隆さん

 

 

09

 

 

書道のほうが長く俳句はあるご縁でつくるようになりました。自分の句集をかえりみますと、わたし自身の俳句というより、「花の木会」という名古屋にいる俳句の仲間とつくっていくことによって出来た句集だと思っています。岸本先生がおっしゃっていたように人とのつながりが俳句の中で大切なんじゃないかと感じさせられました。今日もそう思ったのですが、俳句をされる方は温かい方が多いなと思いました。涼やかな余白を感じました。俳句と書道の共通点を考えるとやはり「余白」なのではないか、と思います。書道においてどう書かないかということが大事です。今回選考会で「言葉が多い」と言われましたが、俳句においてもどう書かないかが大事だと思います。

 

 

 

佐藤りえさん

 

 

20

 

冊子を熟読しました。わたしには二つ看過出来ない点がありました。一つは前年度の落選作に比較して今年は非常にレベルが低い、と言った発言です。毎年あたらしく募集をするといった中でこの発言はちょっと認められないなとおもいまいした。もうひとつは、「誰も自信をもって押せる人がいない、誰か自身をもって押すと言ってくれませんか」という発言がありました。それに対してどなたも異を唱えなかった、それも誠実とはいえません。その一連のやりとりについてこれは選考なのかと疑問に思いました。今回の選考は賞の水準がどこにあるかということで、応募者が中心でないとおもいました。応募者を最優先にした選考をしていただいたいと考えました。

 

 

沼尾将之さん

 

21

 

俳句をはじめてちょうど十年になります。田中裕明賞も十年ということで感慨深くおもいました。十年前学校の美術教師をやっているときに俳句を始めました。小野あらたさんが挨拶で句集を編むということはいろんな人の協力があってできると話されてましたが、本当にそうだなと思いました。まず松本旭先生に出合いまいした。松本先生は亡くなられましたが、先達の俳人の石田波郷や加藤楸邨からも学びました。田中裕明さんのことはあまりわかっていなくて、今回の応募をきっかけにあらたに勉強していこうと思います。今回の応募はすごくためらわれたのですが、せっかくだからと思い応募しました。6点をもらってすこしいい気になっていましたが、今回選考委員の先生方のお話を聞いたり冊子を読んだりして、本当に真摯に向き合って一句一句を丁寧に読んでくださることに驚きました。句集を出すと普通はいいところしか言ってもらえませんが、ダメなところは言ってもらえない、この冊子では血や肉になることを言ってもらえたと思います。

 

 

次期選考委員の方々より

 

佐藤郁良さん。

 

 

22

 

 

句集の選考ははじめての経験になります。わたし自身も3冊の句集を刊行しましたが、句集をつくることは楽しくもありしんどいこともありました。自分というものがにじみ出てしまうこわさがあります。そういう意味で一人一人の方が心血をそそいで作られたものときちんと向き合っていかなくてはいけないということ、そういう覚悟をあらためて思っております。

 

関悦史さん

 

 

23

 

 

「田中裕明賞」は、俳句を知らない人になにが面白いかということを教えるのにひとつの基準になるのではないかと思う。文芸書として読む対象としてこれを読めばいい、そういう目安になってくれたのではないかと思います。無季俳句のあるわたしの句集が受賞したこと、その次は津川絵理子さんのオーソドックスな句集、そして北大路翼、小津夜景の受賞とものすごい多様性のある選考結果だと思います。これは賞としてよい形になったということだけではなくて、批評不在ということがよく言われますが、その批評の場として裕明賞の選考会は機能しているのではないか、という感じもしました。句の欠点とか指摘しますし、鑑賞するだけでは岸本さんが言われるように楽しいのですが、その中で評価しなくてはいけない、しかもそれらをすべて記録に残すという非常にハードなことをやってきた賞です。いままでの選考委員の方々がそれをどれほどプレッシャーに思いながらやってきたかということで聴いて、これから大変だなあと思います。やるからにはなんとしても良い受賞作を出したい、そういうことから今回は推せるものがないという回がこれから来るかもしれません、そういう覚悟もしなくてはならないかもしれません。
選考の過程でいままで見たことがないような生物を発見するような体験がしたいという希望があります。そしてその新しい生物が発見されたら、それ以降の生態系が変わるような、つまり古典的な俳人の作品の読み方が変わるような、そういう動きを引き起こすようなものがこれから出てくるかも知れない、それが一定水準以上の技術的な達成を示しているとき、それを見逃さずにちゃんと評価し、そして俳句の歴史を更新していきたい、という希望があります。
しかし、無事に乗り切れるか、皆さまの助けをお願いします。

 

髙田正子さん

 

 

24

 

 

「わたしのような普通の人でいいんですか」と聴きましたら、「裕明さんを直接知っている人だから」と言われ、知っているといってもわたしの場合森賀まりさんの夫としての知り合いだっただけだったのですが、とにかくお引き受けすることにしました。田中裕明賞は、枠がない、一言で言えば無季の句でもいい、それだけでなく句集のとしての完成度よりもエネルギーを先行させていい、とか枠を選考委員にかぶせてこない面白さがあるのではないか、そのように思ってやっていきたいなと思っております。田中裕明さんのことについて言えば、森賀まりさんのご主人であるという出会いだったのですが、亡くなられたあと俳人・田中裕明と作品を通して出会うということになったわけです。それで今思っていることは、第1句集の『山信』は、あれを始めて読んだときの驚きといったら、おおかたの俳句をつくる人たちが目指しているものが『山信』なんのでないか、と思っております。そしてその後の句集についてはその時その時でいろいろと挑戦をなさっている。と今は思っています。そういう冒険や挑戦をなさっているかどうか、は一つの基準になるのではないかと。

 

高柳克弘さん

 

 

25

 

自分の持っているものをすべて出し切って選考していくだけだなあとそんな風に思っております。多様化ということは俳句の世界にも来ているのかなあと思います。むかしのように虚子、山本健吉、龍太、澄雄とか存在感のある人がいて良い句の基準が見えていた時代がありましたが、平成、令和の時代になってよりいっそう多様化が加速していくことは間違いないと。多様化の時代であるからこそ、賞の選考委員をやるには、確固とした自分の俳句観をもたなくてはいけないとおもっています。いままで以上に自分を鍛えていく十年にしたいと思っています。これまでの田中裕明賞の冊子を読んで、答えが出ている俳句、解釈がしやすい俳句、これに関してどこか物足りないという意見が出ているのがわたしにとっては非常に印象的です、答えが出ないものがいいんだっていうこと、だけどそれはすごく難しいことで、それぞれの俳句観はあるのだけど、柔軟さも持たなくてはいけない、すぐに答えはださないで一つ一つの作品に向き合いながら、自分自身の俳句観もすこしずつ更新されていくのかなと思います。句集を読んだり評価したりしていくということは頭と心をつかう十年になっていくのかなと思います。伝統的な俳句とアバンギャルドな俳句を一緒くたに評価できるのか、という否定的意見がありますが、わたしは出来ると言いたい気持ちがあります。取り組んでいきたいと思います。一つの詩としての良さ、芸術としての魅力みたいなものはひとつ貫くものがちゃんとあるのではないかと思うんです。

 

 

 

 

 

 

26

 

 

 

記念撮影。

 

 

皆さま、お疲れさまでした。

 

参加できなかった応募者の堀切克弘さんと日下野由季さんからは、丁寧な熱意のこもったお言葉をいただいた。
それをスタッフの文己さんが代読したのだった。

 

「懇親会」で語られたことは、ここに記したもののほんの一部である。
「お祝いの会」とはまた違い、それぞれが自由にご自身の問題について語られ、意義ある時間となった。

 

 

電子書籍版「第十回田中裕明賞」には、ここで語られたことすべてが収録されています。
是非にそちらを読んでいただきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

(ふらんす堂「編集日記」2019/7/22より抜粋/Yamaoka Kimiko)

 

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