2月2日に山の上ホテルで開かれた、「件の会」による「さろん・ど・くらん」は、宮坂静生氏・高橋睦郎氏・齋藤愼爾氏の三名の方をメインゲストに「80代からの可能性」というトークイベントが行われた。ふらんす堂からはスタッフのPさんが出席。
以下Pさんによるレポートです。
ご自身たちの俳句への向き合い方だけでなく、俳句界の未来や、人間としての生き方などを語った大変面白く刺激的な宴でした。
各パネラーにはそれぞれ「背後霊(?)(関悦史さん談)」として、選任のコメンテーターがつきます。
司会は黒田杏子氏。
宮坂静夫氏には小澤實氏、高橋睦郎氏には関悦史氏、齋藤愼爾氏には筑紫磐井氏が、それぞれのお話を伺っての感想や質問などをするという形式。
宮坂静生氏はご自身の作句活動において刺激を受けた句集や評論集について話され、また、今後はライフワークとされている「地貌探求」への意欲を語られました。「句集を読むことと俳句を詠むことがつながっているというのが素晴らしくまた、季語について考えるということは風土について、日本について考えるということだ。80代になった今、ますます大きなお仕事をされるだろう」と小澤實氏。「鷹」時代にお世話になったことなどを盛り込んで話され、お二人の絆の強さを改めて実感しました。
高橋睦郎氏は、文学のお話をあえて避け、身体的な話に終始され、お若いときにご病気でご苦労された経験から、食べることの大切さや睡眠時間の大切さを語られました。その他にも、人間や自然、芸術や学問、常に新しいものに「恋すること」の重要性を。また最後には人間のかかえる、「排泄」という行為の問題点まで提唱されました。関氏は、「高橋さんの句は、欠損というものをモチーフにしておらず、餓えや乾きを欲していない特徴があり、充足している雰囲気がある。睦郎さんの作品は充足していて詩が向こうから勝手に来るのだ」とさすがの洞察力を発揮していました。
齋藤愼爾氏は、孤島の飛島で育った経験を蕩々と話されました。小学校5年生にして二度自殺未遂を経験するほどの「いじめ」にあったことなどや、海に囲まれた真っ暗な闇が支配する救いのない文化とは無縁の島の生活から、俳句との出会いなど、壮絶な経験を語り、生きるということが過酷であった幼少期を経験してこそ「俳句は異端の系譜であるべき」という思想へとつながったのだ語られました。聞いていて胸が苦しくなるようなお話の数々でした。長年親交を深められている筑紫磐井氏はそんな齋藤愼爾氏が過ごしてきた「時代」がどんなものだったか、「草加治郎事件」など都会と田舎の持つ光と闇にスポットを当てて齋藤愼爾氏のお話を更に掘り下げたコメントをされていました。
80代の俳人の皆さまの広く深い可能性を存分に堪能できる贅沢な時間でした。
(ふらんす堂「
編集日記」2019/1/4より抜粋/Yamaoka Kimiko)