小川軽舟句集『無辺』
第57回蛇笏賞授賞式2023.7.7

 

 

所沢市東所沢にある「角川武蔵野ミュージアム」
第57回蛇笏賞・迢空賞、第68回角川俳句賞・角川短歌賞の贈呈式が行われたのである。

 

 

 

 

贈呈式がはじまる。

 

 

 

 

「胡瓜サンド」で角川俳句賞を受賞された西生ゆかり(さいしょうゆかり)さん。
今回の受賞の知らせを受け、ああ、私は私の俳句を書いて行けばいいんだな、と心底安堵しました。それと同時に、ああ、私は私の俳句を書いて行かなければならない、という強い緊張にも襲われました。」(「受賞のことば」より抜粋。)

 

 

 

「injusutices」で角川短歌賞を受賞された工藤貴響(くどうたかなり)さん。
海外に暮らすと、日本語は母語であるとともに、異邦のことばでもあった。周囲からそう見られるだけでなく、たえず異国語となって、身体の内側から溢れ出ようとする。二つの言葉の部屋をすいすい移動するようには行かず、実際は、複数の言葉が混り合う中を、もがいてばかりいる。
そんな日々のなか、うたを通じて、身の周りのものに耳を傾けようとした。それは、日本語の錘を下ろすことに違いないが、母国語の韻律に託すというよりも、自分や他者が抱える異邦性を見つめるためだったと思う。相手の話を聞きとれない寂しさや憤りなどの、言葉の境界で味わう感情を忘れずに、フランス語の街の生の体験を残したいと思った。」(「受賞のことば」より抜粋)

 

 

句集『無辺』蛇笏賞を受賞された小川軽舟さん。
「鷹」の主宰になったのが44歳の時でした。ちょうどその頃は政府系の金融機関に勤めておりまして仕事も大変忙しい時期でしたので、確かにきついはきつかったんですけれど、その頃、いろんな俳人に会うたびに「まだ、カラリーマンやってるのか、辞めないのか」ということをよく言われました。それでも辞めなかったのは、なぜかというと、一つはその危険を察知した家族が辞めてくれるなと言ったこともあるんですけれど、それ以外にもやはり私自身にも理由があったんだと思います。私自身、俳人でしかなくなるということに不安を感じたんですね。実社会に生身をさらしていてこそ、私の作る俳句が現代の詩であり続けられるのではないかと、現代の詩として生きづくのではないかとそんなことを思っていたと思います。(ご挨拶より抜粋)

 

 

 

 

背景はこんな感じ!である。

 

 

 

 

歌集『快樂(けらく)』で、迢空賞を受賞された水原紫苑さん。
若い頃、君の歌は外国人が作ったみたいだねって言われたことがあって、おもしろいこと言うなと思ったんですけど、なんか日本語のうまい外国人みたいだねって言われたんですね。それとは別に私、日本語が完璧にしゃべれるのにどうも話が通じないことが多いんですね。日本人と喋ってておかしいなと思ったんですけど、どうも頭のしくみがちょっとずれてるんですよね。ずっとそれでいろんなトラブルを起こしてきて、どうも困ったなと思っていたんですが、若い頃フランスに行ってちょっとだけ行ったんですけども、それでまた去年の秋と今年の春と行ったんですね。そしたらフランスに行くと言葉が通じませんからとてもいいんです。自分の言いたいことはなんとか言えるんですけど、ネイティブが喋ってたら何言ってるかわからないんですよね。そうすると、自分が人間ではないものになったような気がして、とても心地いいんですね。ここが私のいる場だなって思いまして、どれくらいいられるかわかりませんけれどもこれからパリを中心に歌を作っていきたいと思います。(ご挨拶より抜粋)

 

 

 

 

蛇笏賞・超空賞の選者の方たちと記念撮影。
選者の方は、蛇笏賞は、高橋睦郎高野ムツオ中村和弘の各氏。(正木ゆう子氏は欠席)
超空賞は、馬場あき子高野公彦の各氏(佐佐木幸綱氏、永田和弘氏は欠席)

 

 

 

 

角川俳句賞、角川短歌賞の選者の方たちとの記念撮影。
選者は角川俳句賞は、小澤實対馬康子仁平勝の各氏。(岸本尚毅氏は欠席)
角川短歌賞は、松平盟子坂井修一俵万智藪内亮輔の各氏。

 

 

(ふらんす堂「編集日記」2023/7/5より抜粋/Yamaoka Kimiko)

 

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