鳰の子15周年記念祝賀会2026.6.19


皆さん、お足元が悪い中、今日は本当にたくさんの方にお集まりいただきまして、ありがとうございました。「鳰の子」が15周年を迎え、6月で78号です。今は隔月で刊行していますが、創刊から5年間は季刊の刊行でしたので78号となります。私は40歳まで俳句には縁の無い専業主婦でした。40歳の時に575の文芸が好きになって、俳句をやってみたいなと思って、鷹羽狩行先生生の「狩」に入会しました。入会したその月から大阪の句会に出席しました。そこは実力があって総合誌にも作品を発表しているような先輩たちがいっぱいいましたので、そういう方たちの句会に飛び込めたことはとても刺激になって幸せだったと思います。また、私が俳句を始めて素晴らしいなと思ったのは歳時記の中の言葉に出会えたことでした。歳時記の中の美しくて素晴らしい真珠のような言葉が大好きで、夢中になって読んだことを覚えています。ご近所の人や同級生の顔を見れば「俳句しようよ」「俳句、俳句」と言って有名になりました。そのくらい俳句は私を虜にしました。「鳰の子」の結社名は、私が初めて持った句会に関係しています。俳句を学びたいと頼んできた人がいて、5人の方とわが家で句会を開くことになりました。その方々は滋賀県のひとたちでした。滋賀県と言えば琵琶湖です。琵琶湖は「鳰の湖」ですので、「かいつぶり」というのも考えましたが、鳰よりももっと小さくてかわいらしい「鳰の子」にしましょうかといってつけたんです。それが「鳰の子」のはじまりです。その後カルチャー教室の講師になって、いろんな方と出会いました。私の母親の世代の女性の受講生さんたちに「こんな楽しい学びの時間があるなんて、今までしらなかった」って言われました。大正生まれの女性の方は、10代20代が太平洋戦争だったので、学習飢餓世代なんです。その上戦後のどさくさで結婚なさっても、夫に仕え、義理の両親、自分の両親に仕えて、最後まで介護をし終えたら、自分がもう70歳になっているわけなんです。やっと自分の時間がきて「こんな私の人生にこんな楽しい時間があるんだ」って言って私に感謝してくれるから、私自身がそのこの言葉に励まされて、明日も頑張ろうという気になりました。最近はね、若い世代の人も入会してくれて嬉しいです。だから私も若くならないといけないなって、新しい言葉とかも取り入れて、若い人の興味があることも勉強して、自分自身も磨いていかないといけないので、ますます忙しくなりそうです。やれるかなと不安に思うけれど、皆さんが喜んでくださっている顔を見ると、やっぱりやろうって思うんですね。15年というのは、90年や100年続いている結社から見れば、一瞬のことのようかもしれませんが、15年には15年の役割があると思いますし、私自身はこれからもご指導にお叱りもいただきながら成長できればと思っております。句会というその場と時間を共有することというのは、二度と同じ時間・場所は存在しないんです。ぜひ皆さん毎回毎回楽しんで輝いて、そして次の進歩につなげていってください。ありがとうございました。

(ふらんす堂「編集日記」2026/6/7より抜粋/Yamaoka Kimiko)
